2014年10月23日木曜日

感情の保留

下のリンクは、ディベートに関するツイートをヤンデル先生がまとめたもの。

おのれディベィトォ!! - Togetterまとめ:
‘via Blog this’
この画像はpsykomaが勝手につけたものであって、上記リンクの内容とは関係ありません。


「ディベート」の授業みたいなので面白いのは、「自分の反対の意見の立場に立って理論を構築する」ところじゃないかしらん。
「相手を議論で打ち負かす」よりも、「一旦感情を他所において、理論で考える」練習をすることがポイント。

精神科の患者さんが疎まれることがある理由

哀しいかな、「精神科の患者さんは、わけのわからないことを言うから、相手にしたくない」と考える医療者は少なからずいる。
これは、「わけのわからないこと」を言われたことに対する感情が、その後に続くべき思考よりも優先されてしまっていることが、理由じゃないかと。

精神科医の自分は、どうなのか

確かに、病状によっては、患者さんが「わけのわからない」内容を言ってくることもある。困惑を主体としたネガティブな感情が起こりそうになることも時にはある。  

そういった時には、その感情を一旦保留する。
そして、「じゃあ、何故そんな状態になっているのか」という方向で、相手の言動を観察する。
観察した相手の状態を考察をしていく。
考察に基づいて適切だと思う対応をする。

こういった流れが、精神科医療だと思う。
  
なんて言っているけれど、「精神科」だけじゃなく、どんな場合にも当てはまる「当たり前の治療」の過程なんだよね。  
本当は。

じゃあ、どうすればいいのか

やっぱり、目の前の現象から引き起こされる感情に引っ張られて、思考を振りまわされないことに注意する。
これが大切なんだよね。



"Reservoir Dogs" debate, 3 in the morning / LaVladina


Written with StackEdit.

2014年10月21日火曜日

最近、ちょっと気になっているアカウントのツイート


少し前から、ちょっとチェックしているエンバーマーの人の連続ツイート。




エンバーマーという職業に対して抱いているアイデンティのようなものを、じわじわと感じる。

こういうツイート、好きなんですよね。


Roy's Funeral / wickenden


2014年10月20日月曜日

見え隠れする「見識」



「ヨルタモリ」良かったよ

『ヨルタモリ』 - とれたてフジテレビ:
'via Blog this'

昨日から始まった、タモリの新番組「ヨルタモリ」。
自分的には、わりとツボにはまって、面白く見ていた。若い人が、これを見て面白いと思えるかというと、疑問符がつくけれど。

「今夜は最高!」をリアルで見ていた記憶はある。
でも、正直ものすごく面白いとは思わなかったし、「変なことをする、面白いのか、面白くないのか、微妙な人」というのが、当時のタモリに対する認識だった。

まぁ、そんなものだ。


「ヨルタモリ」は、垣間見える「見識」を楽しんでいくつもり。

「ヨルタモリ」のコンテンツの一つは、フリートーク。
フリートークは、ある種の見識がある人がやると面白い。

宮沢りえというキャスティングが、大正解。当然トークなれはしていないのだが、それでも、トークの端々にアドリブ何だかよくわからない形で垣間見える、宮沢りえの「見識」が面白かった

市井の面白いおっさんといえば、最近では友近だったけれど……

市井の面白い人を見つけ出して、動作や口調のパターンを抽出して、それを適度にデフォルメしていくのが、友近の芸の一つ。
タモリは、そこに「面白い人のフォーマット」に合わせた自分の見識をチラチラ入れていく。だから、タモリの芸は、幅が広い。
最近は、この手の芸を見せるのは、徹子の部屋でしかなかったはず。

しばらくは、追いかけようと思ってますよ

「今夜は最高!」をちょっと見ていた自分と、「ヨルタモリ」を見ている自分の違いは、他人の「見識」って面白いと思えるようになったということ。
これから、どうなるのか、どれくらい続けていくのかわからないけれど、まぁ、見ていこうかなぁと思ってます。



ちなみに、「見識」を楽しむという意味では、Twitterもそうなんだけどね




2014年10月16日木曜日

「弱く見える」




特殊な医学理論の提唱者に対して、粘り強く各個撃破する戦略自体はアリ。
ただ、戦術的には「否定合戦」とならざるを得ず、結果的に、こちら側が「過剰な表現による『否定』」を世間に振りまいてしまう
それは、あまりにも大きすぎるリスクじゃないかしらん。


つまり、「正論」に対する「異論」を否定しようと思えば、「過剰な否定」になりがち

ところが、それを見ている第三者は、「必死になって否定している」、「あんなに攻撃的なのには裏がある」といった印象をいだきかねない。

そうなると、「異論」の方がブレなくて、安定している姿勢で対応しているように見えちゃう。
結果として、「異論のほうが正しそうに見えてしまう」。


端的に言えば、これ。


「弱く見えたら」、正しいことを言っていても勝ちにくい
勝ち負けを判定するのは、やっぱり「世間」であるわけだし。

このリスクを回避しながら、各個撃破の戦略を維持していくのは、ものすごく手間がかかりそう。

他の戦略を考えたいなぁと思ってしまうんだよね。


Considering / quinn.anya

2014年10月15日水曜日

「主体性」を育てるもの

主体性を育てられるかというヤンデル先生のツイート


このツイートを見て、テキトーに考えてみたこと

依存症の治療にも似ているなぁと思ったり
依存症の患者さんを治療する時、疾患に対する教育的な情報提供や治療方法の提示をすることはできても、治療がどうなっていくのかは、最終的には当人の主体性に基づくわけで……


アルコール依存症の治療でよく出てくるのは、当人の「底付き体験」が必要であるという考え方。 
 
主体性を育てるには、一種の「底つき感」がなければ難しいのかも。  
ということは、主体性のコントロールは、「底付き感」のコントロールと考えてみてもいいのかしらん。



Creative Company Conference 2011 / Sebastiaan ter Burg
Written with StackEdit.

「正しさ」の運用

不眠症の治療はすれ違う

不眠症治療の本質を「適切な睡眠がとれるように、生活を改善すること」にするのは、間違いではない。
でも、「とりあえず、睡眠に満足感を得たい」と思っている人のほうが多数派。
この「すれ違い」をどう処理するのか。本当は、そこがポイント。


「正しさ」の運用

誰かどう考えても「正しい」ことを実行できないからこその人間。「正しいこと」との折り合いの付け方とか、ちょっとあきらめることへの納得のさせ方とか、そういったものって大切。  
ところが、「正しいこと」を突き詰めさせたり、「正しくしてない」ことを単純に責めたりする人がいるのが、何とも。

「正しさ」って、わりと限定した範囲の中でしか成立しない。
広い世の中では様々な「正しさ」が存在する。
必要なのは、自分の「正しさ」を適応させることではなくて、それぞれの「正しさ」を認めて、妥協点を見つけることなんだよなぁ。



Sleeping / xlibber
Written with StackEdit.

2014年10月10日金曜日

アンビバレントなもの

こんなツイートがありまして

これに対する、一個人精神科医の感想

統合失調症の場合、「アンビバレントな感情」があるのではなくて、「アンビバレントな思考」が本質
バラバラな思考のそれぞれに感情が付随してくるので、一見すると「アンビバレントな感情」が生じているという解釈なんだがなぁ。  
ザックリし過ぎなんだけれど、「アンビバレントな感情に対して、むりやり「屁理屈」を通してくるのがパーソナリティ障害」という感覚。  
「屁理屈」というと語感は悪いけれど、だいたい人間の思考って「屁理屈」なもの。ここは注意が必要。
  
「屁理屈」をどれくらい受容できるか。これは個人差があるわけで、なかなか基準が難しい。  
「屁理屈」の一つの進化型が「妄想」であったりする。だから、観察者の「屁理屈」に対する感覚が違いすぎると、ちょっと癖のある「屁理屈」が「妄想」と解釈されて、統合失調症なんて判断されたりすることも。
Written with StackEdit.

2014年10月9日木曜日

なんとも言えないもどかしさ 「コウノドリ」マタニティブルー編

漫画「コウノドリ」 マタニティブルー編

週刊モーニングで連載中の「コウノドリ」。産婦人科を舞台にして、質実剛健といえるストーリーが展開している漫画です。
平成26年10月9日現在は、「マタニティブルー」編の連載中。
今週の「コウノドリ」 「マタニティブルー」第2話。
いわゆる「マタニティブルー」の母親に対する主人公の産婦人科医の対応が、実に興味深い。というか、何とも言えないもどかしさが……


主人公が自分にコンサルとしてきたら……

同じ施設内に勤務していて、精神科に紹介されたとしたら、
「わかりました。それにしても、先生、さすがですねぇ。産婦人科にしておくのは、もったいない。こっちにくるつもりはありませんか?」なんて、わりと本気で言ったりするかも。


他の精神科医の症例として話を聞いたら……

他の精神科医から、自分の経験している症例として話を聞いたとしたら、
「なるほど。こういう場合は、こうなっちゃうこともありますよね。先生も、大変ですよねぇ」みたいな対応をするかもしれない。


指導している若手精神科医の対応だとしたら……

自分が指導している若手が、こういった対応をしてたら
「抑うつについて、注意しながら対応しているのか。自分のやったことを振りかえって、どこが上手くなかったのか、少しは考えてみた方がいい」と説教するかも。



Written with StackEdit.

今後に注目

まだ「マタニティブルー」編のエピソードは途中なので、今後どうなる展開になるのか。
それによっては、この感想も、また変わっていくのかもしれません。精神科医として色々と考えながら読んでいくことになりそうです。
やっぱり、「抑うつ」への対応は難しい……

2014年10月8日水曜日

「労り」

抑うつ状態の人に、どうやって関わるのか

抑うつ状態の患者さんと関わる時、「『労る』にはどうすれば良いか?」という視点から考えるようにしている。
世間でよく知られている「『頑張って』と励まさない」という視点。これでは、「実は複雑な抑うつ」への対応は難しい。


An old silk-worker (now unable to work) living on earnings of a roomer, March 1937 / The U.S. National Archives


「労る」って、何ですか?

もちろん、「労る」というのも難しい。
昔、「労る」とツイートしたら、「「労る」って、何て読むんですか?」という質問があったくらい難しい。
冗談はさておき、読める人でも「労る」という言葉について、きちんと辞書をひいてみることをお勧めする。なかなか面白い。


「労る」ために必要なもの

「労る」ためには、その人となりを理解していないと難しい。
ということは、ずっと生活を共にしてきた家族が、一番「労り」やすかったりする。
でも、近すぎて見えていなかったり、「労る」という視点が無かったりで、実際に実行するのは難しい。
だから、患者さんや家族と関わりながら、「何を労るのか」というテーマで診ていくことになる。

Care in the home / British Red Cross.


「励まさない」ことの功罪

もしかしたら、「心の風邪」よりも、「頑張れと励まさない」というフレーズのほうが、話をややこしくしちゃったんじゃないだろうかと思えてきた。
「わかりやすいフレーズ」は大切で便利だけれど、便利なものにはリスクが伴うんだなぁと、再認識。

2014年10月3日金曜日

「必ず本当でもない」



双極性障害の(軽)躁状態の患者さん。
この状態では「聴き応えのある」訴えが色々と出てくる。でも、こういった時の訴えは、「必ず嘘ではない けれど必ず本当でもない」

むしろ、「そういった訴えをするのは、どうしてだろう」と思いながら、患者さんを診ている。

「必ず嘘ではない けれど必ず本当でもない」というフレーズは、さだまさしの名曲「まほろば」にあるもの。そういった患者の診察をする度に、脳内再生される。


2014年10月2日木曜日

「正しくて隙のないハードSF」のような……


「この薬を飲んでも、副作用はありませんよね」と聞かれると、結構困ってしまう。

もちろん、「細かいことを考えなくても、まぁ大丈夫」式の答えを即答するのが正解

自分は、ここで「より正しい」返答を考えてしまう。その結果、下手くそな対応になって、話をややこしくしてしまう……

「正しい」説明は、相手にも「リスクも一緒に引き受けましょうね」という覚悟を求めてしまう
ところが、相手が求めているのは「覚悟」ではなくて「安心」。「安心」の基板は、「心地よさ」にある。

「心地やすさ」の正反対である「正しいことの厳しさ」を突きつけられると、当然戸惑いが生じる。

場合によっては、「正しいことの厳しさ」を緩和するために、「厳しさを受け入れるための」ストーリーを作る人も少なくない。説明を聞いたあと、時間をかけて、説明の内容をそのストーリーに合わせた脚色をしていく。
そうなるといつの間にか、説明する側とされる側の理解が、まったくの別物になったりする。

最適解は、ちょっと聞いた感じでは心地よさそうな、でも「本当は恐ろしい寓話」のようなストーリーを提示すること。とはいっても、そんな宮﨑駿作品レベルのストーリーを咄嗟に作り上げるのは、常人には至難の業。



更に、後出しジャンケンで勝ちにくる批評家が出現することを考えると、「正しくて隙のないハードSF」のようなストーリーにするのが安全策になってしまう。

「隙のない正しさ」に親和性がある自分は、「より正しく」答えてしまう。だから、ダメなんだろうね。やれやれ。