2014年5月29日木曜日

「治る」って、どんなことですか?


独居の認知症の患者さん。いろいろな経緯を経て、無事(?)精神科病院に入院してもらう。
家族と面接をすると、「以前のように、一人で生活できるようになってもらわないと困るんです。私達にも生活がありますから。ちゃんと病院で治してください」という要望。
実際は、ここまで極端な言い方をされることは、殆ど無い。
でも、「家族の話している内容を要約すると、こうなっちゃう」というパターンは、少なからずある。


「治る」という言葉を「病気の前の状態にもどること」という意味に解釈して、本人やら家族やらが、将来の生活方針を考えていった場合、後々手詰まりになりやすい。
ましてや、「病気の人を『治った状態』にもっていくことが、治療です。医者や病院の役割は、治療をすることですよね」という考え方を、治療を受ける側が持っていると、手詰まり確定になりやすい。
いや、治療をする側にも同じことが言えるわけで……



Aunt, Mom and Us at Nursing Home / ConnieFoggles


「『治る』って、どんなことですか?」

どこかで、こういった問いかけをして、考えなおしてみた方がいいような気がする。

統合失調症、認知症、うつ病、双極性障害……等々、精神疾患にも、様々なものがある。
症状の改善のありかた、寛解や治癒したという状態の認定など、疾患それぞれで違ってくるはず。
それなのに、単に「治る」という言葉でゴールを考えることで生まれる問題もあるはず

精神疾患に関する言葉の変更。大切なことという理解もしている。
それならば、「治る」という言葉も考えなおしてみてもいいんじゃないだろうか。


Random House English-Japanese Dictionary / torisan3500



2014年5月22日木曜日

やっぱり「話す」ことだ



精神科の患者さん、特に統合失調症の患者さんへの対応について、一般の人が「恐くないですか?」と聞いてくることがある。(自分の親類筋あたりになると、遠慮がなくなるので、もっとストレートな表現を使ったりするけれど……)

ただ、こちらは、専門家ではある。
疾患のことを知っている。
その知識が、「話しかける」ことを容易にする。
そして、必要以上の恐怖心もなく、対応することができる。

まぁ、それだけのことなんだけれどね。

2014年5月14日水曜日

「空気が読めない」というのは、考えていないわけじゃない

「空気を読む」の説明としては、まったく良くできていると思う。


喜怒哀楽や本心を「読み取る」時の思考・解釈パターンが、大勢の人とは違う独特になってしまっている人もいる。
その人に対しても、周囲の人々は「あなたは空気が読めない」と解釈したり、時には「空気を読もうとしない」と判断したりする。

そうではない。

「読めない」のではなくて、「解釈が違う」というだけの話だ。無論「読もうとしない」のではない。時には、他の人以上に「空気を読もうと考えている」ことだってある。

むしろ、「空気が読めない」と批判する側のほうが、思考・解釈パターンに対する意識が乏しくて、「テキトーに空気を読んでいる」場合が多い。
そういった人は、「読めていない」人に「空気の読み方」を説明することを求めても、それができないことがしばしばある。


身近な人が「空気が読めていない」と思ったら、「なぜ、読めていない言動があるのか」という疑問を持つと面白いかもね。
自分とは異質の思考パターンを知るというのは、刺激的で面白い知的作業であるはずだから。


Ninja Moves / specialoperations

2014年5月6日火曜日

でも、人生は長い


【2670】7年間安定していた統合失調症の妻が、薬をやめて4カ月で大変な状態になってしまいました | Dr林のこころと脳の相談室:
'via Blog this'

上記のリンクは、「まさかとは思いますが、この「弟」とは、あなたの想像上の存在にすぎないのではないでしょうか」のフレーズで有名な林先生の記事。
是非読んでみて欲しい。





「一度薬をやめてみることに挑戦してみたいんです。もし、それで悪くなったら、また受診して、その時には、きちんと薬を飲みますから」と本人や家族が真剣に話される場面は、何回も経験している。
でも、それはあまりにも危険すぎるというか、勝つ見込みの無さすぎる賭けだとは思っている。

時間をかけて、治療継続の必要性を説明しても、それでも服薬をやめることを選択する人もいた。そして、1,2週間後に受診して、「調子いいです」と報告。そのまま、治療終了(を宣言される)。
でも、数カ月後に、自分のところや他の医療機関に受診とか入院したりする。
それと、こういうパターンで症状が悪化した場合、以前のようには良くならないというケースも少なからずある印象。

薬物療法継続の必要性についての自分の基本的な説明は、次のようになる。
統合失調症の場合。「出来る限り、薬の”調節”はする。でも、ずっと飲み続けることが必要
感情障害の場合は、判断が難しくなる。でも、一般の人が想定するよりは、長期間服用するほうが再発のリスクは低くなりますよ

この説明に、どこまで納得してもらえるか。なかなかに難しい。


Long road out of eden / machernucha


薬をやめても、少しの間は「調子が良い」と感じる人がいるのも確か。でも、人生は長い。
これだけは、事実なんだよね。


2014年5月2日金曜日

「さよなら文通」に対するイメージって、これなんだと気がついた



病理医ヤンデル先生と、編集者の西野マドカ嬢の文通企画、「さよなら文通」。
(画像にリンクは貼っていません)


10通目あたりからの盛り上がりが凄いものになっている。
盛り上がりと言っても、派手な展開ではない。読んだすぐ後にではなく、時間が経ってからジワジワと心の中に何かが湧き上がってくるという、ネット上のコンテンツとしては珍しいタイプの「面白さ」である。



ヤンデル先生、マドカ嬢の二人は、この文章の交換を「殺伐としたやりとり」と言っている。

「殺伐としたやりとり」という意味は、何となく理解できる一方で、自分にはしっくりとこないものを感じて、悶々としていた。

でも、ここ最近のやりとりを読んでいて、ふと思い当たった。


これだ。


漫画「はじめの一歩」の「千堂武士vs幕之内一歩 のタイトルマッチ戦」。
(悪いけれど、ここから先は、「はじめの一歩」を知らない人は置いてけぼりです)

Twitterのツイートとも違う、Facebookページでの記事ともスタンスが違う、ツイキャスでのトークの雰囲気とも、どこか違っているヤンデル先生の語り口。

編集者である西野マドカ嬢が、その立場を越えて(?)自分の言葉で語りかけてくる。

文通というやりとりの中で、二人の良さが、ますます際立っていく。

自分は、それを目の当たりにしている観客なんだよね。


まだ、このやりとりが、後楽園ホールでのララパルーザ状態なのか、その後のミックスアップ状態になったところなのか、自分には判断できない。

この企画が終了した時に、どちらが勝つのか想像もできない。
ただ、「タイトルマッチ」の観客と同様に、両者に尊敬の念を覚えることは間違いないんだろうね。

実に楽しみだ。