2014年2月28日金曜日

100%理解されることは、100%無いよね

患者さんやその家族から、以前に受けた治療の話を聞いて、「患者さんへの診断や治療の説明が、きちんと行われていない。そんなことだから、患者さんに対して、的はずれな治療が行われている」って、憤慨する医療者を時々みかける。

気持ちは分かるのだが、そんなに単純に怒ったりしていいものかしらん、という話をします。


Loftで買った文房具 stationary / salchu


診察室で、特に口頭で説明した内容が、患者さんや家族が100%理解したという考え

診察終了後、忘却曲線に従って、その内容が薄れて、印象的なキーワードだけが残って、「都合の良い」解釈がされている可能性

この二つの罠があることは、考えておいたほうがいいんじゃないかしらん。


例えば、
「あの先生、色々と説明してくれたけれど、なんだかたくさんの事を言われたから覚えていないの。でも、テレビで言ってたうつ病みたいな話をしていたから、やっぱりうつ病だと思うの」
そういった会話が、診察の後、会計を待つ間に展開されていても、不思議なことではない。

他にも、
「こういった症状は、抑うつ状態と考えます。今の状況では、うつ病といえるかどうか、他の可能性も含めて、時間をかけて判断します」と説明した直後。
「先生、やっぱり、うつ病なんですね」と返されるのって、別に珍しいことじゃない。
それくらい、一般的に「抑うつ状態=うつ病」というイメージは強い。

こういった状況は、いろんな形で起こっているわけで。


つまり、説明する側、される側の問題ではない普通に起こりえる、不可避な罠というのが存在するんだよね、きっと。



Trapped / fauxto_digit


もちろん、病名告知などの説明をする側としては、内容の精度や伝わりやすさのレベルを上げていく努力は必要。
ただ、情報量を増やしていくのは悪手。
説明を受ける側の心に響くような、病状や治療のエッセンスを端的に現したキャッチフレーズを使うと、場合によっては、ものすごく効果がある。ただし、センスが必要だし、過去に「うつは心の風邪」という例があるように、誤解を生じて、余計に話をややこしくするリスクもある。

説明そのもののシステムを、もう少し工夫する方向性のほうが良いような気がする。

つまるところ、医師の説明が100%理解されて十分に保持される可能性は、100%無いということの再確認だね。
(それと、「後医は、名医」バイアスというのも存在することは、忘れちゃいけない。)

というわけで、「あの医者(医療者)の説明は問題がある」という判断は、後々の事を考えたら、慎重にするほうがベターじゃないかしらん。




というわけで、自分の場合、患者さんや家族から聞く前医からの病状説明については、いわば「話半分」という姿勢で聞くことにしています。
治療的に働いているようであれば、それで良し。自分の見立てと違う場合には、患者さん側の認識と、こちらの方針のすり合わせをする。

前医を非難ることは、殆どしない。相手をかばうという意味でも、自分の優秀さを誇示する意味でもなくて、治療的になることがないから
患者さん側の認識と違っていても、「これが、今後あなたを治療する私が考える方針です。今までのそれとは、違いは出てくることはあります。どうしますか?」という説明。

とりあえずは、この方針で仕事をしながら、考えていくことにします。



いつもの話になりますが、医療者によって、色々な考え方ややり方があると思います。
だから、異論は山のように認めます。
そういった異論が、あちらこちらで情報発信されることを願うばかりです。

やれやれ。

2014年2月27日木曜日

「この検査が何点になったら、会社休めますか?」


初診から数回の受診。しかし、受診する曜日がバラバラなので、同じ医師が連続して診察している場合が、殆ど無い。
精神病院の外来では、こういった受診状況の患者さんが、時々現れる。

で、こういった患者さんから診断書などの作成を求められた場合、どうするか。自分にとっては、結構悩みの種。

こういうところで、悩むということ自体、利用者側から見ると奇異なことのように思えるかもしれないけれど。


Working Working Working / Michael Cornelius



言ってしまえば、下手に悩むより先に、SDSとか、HAM-Dみたいな検査を施行。
◯◯の検査で、◯点の抑うつ。休養が必要と判断」といった感じで記載すれば、体裁の整った書面は作成できる。でも、自分の中では、ものすごく抵抗感があるので、なかなか書けない。(そして、患者さんに嫌われる……) 
例えば、「◯◯の検査で、1ヶ月の休養が必要と判断されるのは何点からですか?」なんて、問い直された場合、どう答えるのが、正解になるんだろうか?

おそらく、現実にそんな質問をされることは無いと思う。

ただ、「わたしのゴーストが、そう囁いてきた」時に、自分自身が、何を答えて、どう行動するかという問題なんだよね。

やれやれ。



ちなみに、「わたしのゴーストが、囁く」の元ネタは、こちら。


2014年2月21日金曜日

医師における”正しい行動原理”とは?

森元首相の問題発言。
その解釈についての、このツイートを見て、色々と考えてみた。

「診察室という場で、目の前の患者さんの希望をかなえるためのサービス」をどれだけ優先させるべきか。
というのが、自分の中で、未だに答えを出せない問題の一つ。

こちらからみると、首を傾げたくなるような処方などをしていても、患者さんに人気のある開業医。その対応を聞いてみると、「診察室で、自分の希望をきいてくれるサービス」をしてくれる医師であることが多いんだよね。
この現実をどう評価して、どう行動するか。

バランスの取り方ではあると思うけれど……



Teddy Bear Hospital / Christiaan Triebert



大学とか、専門性が高くて名の知れた施設とかでの治療であればいざ知らず、一般的な診療場面では、「病院の周囲にいる人間へのサービス」に重きをおくほうが、上手くいきやすいとこが多い。
この状況も、違う立ち位置から見たら、評価が異なってくるだろうけどね。

そういうことを考えていたら、診断だけではなくて、医療に対しても「多軸的な評価」がされたら、いろいろな意味で面白くなりそうな気がする。




(追記)
映画「ディア・ドクター」
 主人公は、地域の人間にとって「良質なサービス」を提供してくれる医師で、評価も高かった。しかし、多くの人間は真実を知った後、手のひらを返したり、黙してしまう
いつ何時「手のひら返し」が起こるかもしれないという不安が、状況をややこしくしている一因。






2014年2月19日水曜日

馬鹿と云われないように……


自分にとっては、心に何かをつきつけられるような気持ちがした、ヤンデル先生の連続ツイート。

「医療者として内部にいるとわかるんだけど、○○の実態は○○なのに、世間は××だと思っていて残念だ」みたいなトーク 
これが、ヤンデル先生からつきつけられたポイントの一つ。まるで、鋭い刃物のようだ。

ふりかえれば、自分のツイートも、こういった要素が多い。
普段の仕事の中で、どうしても「世間は、こう思っている。残念でしかたない」と思ってしまう経験はあるし、ネットで自分の意見を表明する原動力になってたりする。

でも、残念なのは「世間」ではないんだよね。

「よく覚えとけ。現実は正解なんだ。時代が悪いの、世の中がおかしいと云ったところで仕方ない。現実は事実だ」
立川談志が、立川談春に、そう言って説教をしたというエピソードが思い出される。


世間は、残念ではない。残念なものは、おそらく自分の中にある


説教は、こう続く。
そして現状を理解、分析してみろ。そこにはきっと、何故そうなったかという原因があるんだ。現状を認識して把握したら処理すりゃいいんだ。

自分は、世間を残念に思えるほど、世間を知らない。浅はかな理解に基づいた行動というのは、浅はかな結果になりがちである。
それこそ、普段の臨床の場面で、何度も経験していることだ。
十分に理解できていない患者さんの診断や見立ての甘さ。そこからの反省という形で。

立川談志は、この一言で説教を終わらせている。
その行動を起こせない奴を俺の基準で馬鹿と云う


うん、馬鹿にはなりたくない。哀しいかな、そういったプライドだけはある。

ネットは、日常的なものとして存在している。これも、事実だ。
だから、「じゃあ、変なことを言わないために、ネットはやりません」というのも、現実から遠ざかるよで、こういった行動も馬鹿がすることのように思える。

だから、理解したり、分析しないといけない。考えないとダメなんだ

やっぱり、自分はこれからも、「下衆ノート」に馬鹿なことを書きつけたり、ノートに独りよがりなことを書き出したり、いろんなことをツイートしたりしていくことにします。
「それは、今までやっていることと、同じじゃないか」という突っ込みも、承知の上。

時々、こうやって突き落とされたような気持ちになりながら、「馬鹿と云われないように」やっていくしか無いんだろうな。

ということで、馬鹿なことしながら、反省しながら、何か変わりながら、ツイートしたり、ブログをしたりします。
これを読んだ方々、これからもよろしくお願いします。


最後に、面白いツイートや、こういった刺激的なツイートをしてくれるヤンデル先生。いつも、ありがとうございます。



立川談志の説教のエピソードは、この本に書かれてあります。

2014年2月10日月曜日

初診の診察の第一声は?

外来での初診の診察。
どんな台詞から診察を始めるか。バリエーションが少なそうなんだが、案外、人それぞれの診察への入り方がありそう。
ちょっと、気になるところではある。



Nice To Meet You, The Hub Milan 28.09.2010 / Impact Hub


初診の患者さんへの診察の入り方。自分の場合、「今、一番困っていることは何ですか?」だと思っていたが、よくよく考えてみたら違っていた。
「先程の予診と、同じようなことを聞くことがあるかと思います。よろしくお願いします」の方が、先ですね。

予診を信用していないという訳ではない。
むしろ、診察の中で、「ここ、大事かも!?」って思った時に、自由に問診を広げることができるには、しっかりとした予診が必要。
だから、わりと予診に対しては、細かく注意したりする。(やっぱり、スタッフに嫌われるわけだw)

あと、自分の診察の進め方だと、患者さんの方は、もう一度予診を取られるように感じるはず。でも、医師から、もう一度聞かれることで、新たな情報が得られる場合も少なくない。
これも、別に予診が悪いわけではない。「大事なことだから、もう一度聞きました」感の影響が大きいはず。


Cafe and vin rouge / Signe Karin



診察のスタイルは、色々なパターンがあることを知っておいても、大きく損にはならないような気がする。
ただ、ライブ、つまり、実際の診療の場で一緒に共有しないと分からないこともあるのも確か。
若手の医師が、どういうやり方で、診察のスタイルを学ぶのが良いか…… 

やっぱり、難しいよなぁ。

2014年2月7日金曜日

底意地の悪い精神科医ですが、それが何か……



上記ツイートの内容は、概ね同意。

でも、頭の中に、何となくモヤモヤしている。多分、自分は底意地の悪い精神科医なんだろうな、ということなんだろうけれど。

どういうことかというと、他人のカルテや紹介状の記載については、一旦疑って読むみたいなところがある。
紹介状の中に、具体的なライフイベントの記載があったとしても、「それは、観察者のフィルターを通過した情報なんでしょう。鵜呑みは危険」みたいな囁きが、どこからか聞こえてきたりする。

信用のならないと言ったら、言い過ぎかもしれないが、そんな紹介状の経験もある。
とある精神科の開業医からの、入院依頼の紹介状。
生活の状況や本人の言動について、認知症を考えさせられるエピソードを、それこそ具体的に書かれていた。
症例報告並みに丁寧な病歴の記載。記載されている診断名は、もちろん認知症。
ところが、いざ診察してみると、老年期の「うつ病」じゃないかしらん?
実際、抗うつ薬中心の処方で状態が改善して、無事退院されましたが……

もちろん、逆の場合もある。
その臨床能力を信頼している医師からの紹介状の内容は、なるべく受け入れるようにしている。
例えば、自分が診察した時の評価が、紹介状のそれと違っていたとしたら、まずは自分自身を一旦疑ってみるくらいに。

要するに、紹介状や他人のカルテの読み解きも、自分自身の臨床能力が問われるというだけなんだが。

逆に、自分が紹介状を書いたりする場合。
精神症状の評価が難しいと判断したら、なるべく「客観性」を意識した、具体的な情報を記載するようにしている。そして、可能であれば、相手に判断を委ねるニュアンスを含めるようにして。
往々にして、このニュアンスを汲み取られない場合もありますが……


saturated writing / tnarik


いずれにせよ、カルテにしろ、紹介状にしろ、情報の載せ方には、やっぱり限界が存在するんだよね。すべての情報が載せられるわけではない。
それは、Twitterで140文字の中でのやりとりで、勝負するのと同じこと。

Twitterにしろ、紹介状にしろ、情報の発信とか、読み取り方には、テクニックや判断する能力みたいなものが必要じゃないかしらん



(追記)

精神科的現症の記載が、案外難しいものであると判っていただける、実に面白いツイート。

ドラマの中での話だけれど、
”食べ物をみると、自分が殺した敵兵の死体に見える”という状況をどう解釈するか。
ある人は「妄想」と呼び、別の人は「錯覚」と判断する。状況によっては(この場合、後年になれば)「再体験症状」と捉えて、ちょっと違った疾患概念の中で解釈する。

なかなか、面白いでしょう。

ちなみに、「私はこのドラマを見ていないので、どれが正解なのか、全くわかりません」。そう言わせていただきます。

2014年2月5日水曜日

認知症の診断をつけることには意味がある



自分も、これと似たようなネタ・ツイートをしていたことがありまして、それが、こちらになります。

 それにしても、2010年4月のツイートとは…… 思えば、こんなに長くTwitterやってたんだ>自分

冒頭のツイートについて、もう少し考えてみる。
大きく認知症とはいっても、アルツハイマー型認知症、脳血管性認知症、前頭側頭型認知症等々、色々な認知症があって、普段の臨床の場では、診断を確定させていくことが一つのポイント。その理由の一つには、認知症の違いに応じて、対応を変えたほうが上手くいきやすいから
冒頭の例でいえば、アルツハイマー型認知症と、前頭側頭型認知症とでは、リハビリを断る理由が異なっていることも考えられる。診断がわかっていると、理学療法士に「次からは、◯◯という言い方で対応してください」などの、具体的な指導をすることができる。


認知症に限らず、疾患の本態をきちんと認識していないと、他の疾患の患者さんにも似たような対応や生活指導を、少なからずやらかしちゃうんだよね。

でも、認知症は、精神疾患に比べると、想定しやすいような気がする。


Fixer Kayleigh Duddin with her Grandma / FixersUK



疾患の本態とか、本質みたいなものって、教科書の記述そのままを覚えていても、応用が効かない感じ。自分の経験を糧にして、自分の腑に落ちるように作り上げた「理屈」の方が運用しやすいような気がする。

ところが、「理屈」は、ともすれば”トンデモ”になる危険性もある。

”トンデモ”にならないようにするには、理路整然とした「正しさ」と、相手に受け入れやすくする「応用の効かせかた」が必要。この二つを、自分の「理屈」の中で上手く使っていくことになる。

「正しさ」と「応用のきかせ方」のバランスの取り方は、未だによく分からない。
どうすればいいか、今も、色々と考えているところ。