2014年1月31日金曜日

「下衆ノート」という最強の道具



ちょっとした思いつきや閃きを形にする。その時に、何かの道具を使うことが必要ならば、使える状態になるまでの時間が、大きなポイント
多分、数秒以内じゃないと道具を使うのが面倒になって、頭の中に保持することになる。そして、保持できなくなって、忘れてしまうという経験は数限りなく。

外来診察の時に、説明の要点を紙に書いて説明することがある。毎回するわけではないが、机の上に、すぐに使える状態で紙とペンを置いておくようにしている。そうでないと、説明しようと思った瞬間から紙とペンを取り出す作業をしていると、機を逃すし、口で説明しただけでいいや、になっちゃう。

今使っているスマホは、アプリの起動に時間がかかることが多いし、下手をすれば固まったりする…… だから、とても便利に使える道具としては信頼出来ない。
常に胸ポケットに入れているので、さっと取り出せて、パッと書きつけられる「下衆ノート」が最高と思ってしまうんだよね。



Notebook / sk8geek



認知行動療法をする時、治療を受けている人は、日々の行動と、その気付きを記録する必要が出てくる。
それを考えると、「今、その時に」メモを取る工夫を指導、習得させることもポイントの一つになるのかもね。

このあたり、専門家の人は、どんな風に指導しているのだろうか。気になる。

2014年1月27日月曜日

「幻聴」という症状に、どうアプローチするか

「あなたの病気は、統合失調症です」と、患者さん本人に告知しやすい雰囲気になったのは、治療的に大きな意味があった。
本当にそう思う。

告知することで、治療の選択肢が大きく増える。

自分が医師になった当時、統合失調症という告知は慎重にするべきであるという雰囲気が強くて、なかなか告知に踏み切れなかった。だからこそ、よけいに意味があると感じてしまうのかも。

ただ、告知の問題がクリアできたら、それで終わりかというとそうではない。
次の問題は、「統合失調症は、慢性疾患という性格があるので、ある程度症状が残っていることが当然」という認識を作り上げて共有して、行動できるかどうかということなんだよね。



Coffee Break! / Evi Christodoulou




「幻聴」という症状。それに対する治療目標について考えてみる。

ありがちな「幻聴が無くなるようにする」という目標は苦しい。
「幻聴がある状態だけれど、どうやって生活をするのかを相談していく」という目標にしたい。
そのことを、患者さんやその家族にも納得してもらう。そして、具体的な方策を一緒に練っていく。そういった治療を目指していくのが理想的だ。


「声が聞こえなくなるようにしてください」という治療目標は、なかなか達成が難しい。
下手をすれば「何時までたっても、この病気が治らない」という感覚に大きく囚われてしまう。だから、苦しい。

「聞こえてきても、気にしないようにしましょう」というアプローチもある。
でも、気にしないようにと思っていても、なかなかできないのが、この症状である。
さらに、「幻聴なんて無いんだ!」、「聞こえても、気にしない!」と思うことは、現実の状況を強く否定することになる。
強い否定は、裏を返せば、強く認識して、心のなかに取り入れるということにもなってしまいがちだ。

「聞こえなくする」ことから離れて、「聞こえている中で、できることは何か?」「これくらいの幻聴はあるけれど、◯◯すればいいじゃないか」といった感じに認識が変われば、もう少しうまく行きそうな気がする。

そういった方向に導くアプローチができるようになりたい気持ちだけはある。



Nessebar Old Town, Bulgaria / Vicburton


場末の精神病院勤務の精神科医にとっては、他の人がどういったアプローチをしているのか、とても分かり難いところ。

患者さんに対して上手くいった(あるいは、上手くいかなかった)アプローチという経験が知りたい。

そういう気持ちはあるんだよね。




2014年1月22日水曜日

ライフログには、何を記録するか

ライフログというか、ユビキタス・キャプチャーというか、日記というか、そういった日常の記録。

「行動」とか「事実」とかの客観的な記録。それに対する「思考」の記録。この二つにウエイトを置くのがポイントかな。
「感情」の記録には、注意が必要。そこに労力をかけると、逆に見えなくなってしまうモノが多くなりそう。

「感情」の記録は、サラッと記録して頭の中から出してしまって、ケリをつける形が吉かも。
うまく感情をコントロールしている自信があれば、キャッチコピーを付けるような感じで、自分の感情を一行に程度の文にまとめるというやり方も良さそう。ただし、このまとめる作業に、脳内作業のエネルギーをかけ過ぎると逆効果になりそうなので、要注意。



So much to write? / koalazymonkey



これは、「感情」が生まれるのが、次のような流れになっているから。

「客観的な事実(天候であったり、目の前の人間の動作)」>「思考」>「感情」

「感情」は知覚しやすい。でも、前の二つは、案外意識していないことが多い。
だから、「感情」のところだけ取り出して、「頭の中でだけ」考えても、結論には至らないし、わけがわからないことになりがち。

さっき、「感情」をキャッチコピー化すると書いたけれど、「事実」>「思考」のプロセスを把握していないと、上手いキャッチコピーはできない。
だから、上級者向けのテクニックになる。

Twitterだと、「露骨な感情の表出」ツイートがうける傾向がある。
だからといって、「感情」を露骨にすることばかり考えていると、誇大化した感情に心が喰われちゃうリスクが大きくなりそう。注意しないとね。

2014年1月20日月曜日

「贅沢な少数派」の治療と、それとは別の治療と……


神経症圏(今時、こういう言い方もアレなんだが)の治療。
多分、認知行動療法的な、自分自身の考え方を変化させていくことが肝になるんじゃないかと。

でも、考え方を変えるということは、行動や生活を変えるということ。

逆もまた真なりで、考え方を変えるには、生活や行動を変化させることになる。

でも、実際問題、生活や行動を変化させることには抵抗を示す患者さんは、少なくないんだよね。「薬を飲んだら、楽になりますよね」というパターンが、実際かなり多いわけだし。

手軽(?)に、早く効果が現れることが評価基準になれば、抗不安薬を主体とした治療が一番評価されるんだよね、きっと
効果発現に時間がかかる抗うつ剤の治療も、低い評価をされがち。今までの行動や考え方を変えるなんて、もっと時間がかかるわけだからねぇ……




Old Clock / garlandcannon



自分の治療に手間と時間をかけることができる人は、いわば「贅沢な少数派」なのかも。それは、しかたがないことかなんだけどね。
ただ、「贅沢な少数派」を対象にできる治療者が、多数派の治療を同列にみなすような形で色々と物申されるのは、如何なものかしらんと考える場面をしばしば見かける。あれは何とかならないものか……

間違ったらいけないのは、「多数派の治療」は何でもアリということではなくて、治療の大切な部分をおさえて、工夫をこらす努力をすることが求められる。そこを勘違いしてはいけない。

その工夫と努力は、うまく評価されるようになればいいなぁ、と思う。

SNSやブログなどで、症例報告レベルで詳細な情報発信をすることは、当然許されない。
でも、治療の考え方あたりについては、色々な立場の人間が、上手く発信してくれたら、もっと面白くなりそうなんだけどね。

それには、もう少し時間がかかるかな。やれやれ。


Lenka s bublinou / pirati.cz



2014年1月8日水曜日

「君たちは、病気なんだ。治るんだ」って、俺も言ってるわ…… :映画「アイ・アム・レジェンド」


また、「アイ・アム・レジェンド」を地上波でやっていましたね。
ちょっとだけ期待したんだけれど、やっぱり真のラストシーンではなかったなぁ。

この映画は、当初別の結末が用意されていたのだけれど、事前調査で不評だったので、急遽別の結末に作りなおされたというエピソードが有ります。
でも、絶対におすすめなのは、当初の結末。
この結末は、検索すれば、色々なブログなどで言及されているので、興味のある人は検索してみてください。それが収録されているDVDなどもあります。




ラストシーンを変えたことで、これだけストーリーの意味が変わってしまった映画も、珍しいんじゃないだろうか。
実に、もったいない。何回見ても、そう思うよ。

クライマックスシーン近く。ダークシーカーに向かって、「君たちは、病気なんだ。治るんだ」みたいな台詞を呼びかける主人公。本来のラストシーンを知っていると、ものすごく意味があって、印象的な台詞になる。
時に、恐ろしさすら感じるのは、自分の仕事のせいなのか……

精神疾患というのは、基本病識が無くて、自分が病気にかかっていることに自覚がないことが多い。そういった患者さんに対して、「君は病気なんだから、ちゃんと治療を受けようよ」というアプローチしていくのも、お仕事の一つ。
時には、「どこからが病気で、どこからが病気じゃないのか」という問題がでてくることもあるわけで。
こういう時に、自分の価値観みたいなものを問われているのを感じる時もあるんだよね。


まぁ、こういう仕事だから、楽しいのも事実なんですけどね。



(追記)
「病気なのか、そうではないのか」。こういった問題は、その立ち位置によって、考え方が大きく変わるので、このあたり異論が出てくる可能性があるんじゃないかと思う。
これは、それぞれが考える問題だなぁと思っているので、悪しからず。



2014年1月7日火曜日

「元の生活」に戻りたいですか?


治療の場面で、「元通りになりたい」とか、「前のような生活に戻ったので、満足しています」とか、患者さんや家族は「元の生活にもどる」ことを望んだり、評価したりすることが多い。

でも、こちらとしては、モヤモヤすることも少なくない。
「元にもどる」ということは、また同じことを繰り返すリスクもあるんじゃないかと



Clock / wwarby


黙っていても、何もしなくても、時間は流れる。

患者さん自身も歳を重ねる。病気にもなった。

周囲の人間、状況も変わっていく。

そういった変化の中で、「以前通りの生活」というのは、定常状態にあるのではなくて、逆行するという変化を志していることになるんじゃないだろうか?

かといって、むやみに周囲の変化に追いつこうとする。それも、自分自身にストレスをかけることになる。
じゃあ、どうするのが良いのだろうか。



A little worried / allspice1



あくまでも「自分自身の感覚」を基準にするといいんじゃないのかしらん。

もう少し、付け加えると、自分自身が「楽」と感じるモノ。それを目印にして、生活を考えていく。そうすると、一番上手くいくんじゃないだろうか。
「楽」というのは、「らく」でもあり、「たのしい」でもある。
あと、「今、「楽」と感じているものは、本当に「楽」なの?」という自問自答が必要。


「楽」の見つけ方。自問自答のやり方。どうやったら、それが上手く出来るのかしらん。というのをノートに書き出して、色々と考えていた。

もう少し時間をかけて、煮詰めていこうかしらんと思っているところ。


Notebook / sk8geek