2013年11月29日金曜日

診察を進める上での「両輪」

診察場面で患者さんの反応を見ながら、「間」みたいなものを意識することも多い。
「間」をコントロールするために、沈黙を使うこともあれば、「うーん」、「そうだねぇ……」みたいなつぶやきを使うこともある。あえて、「間」を潰してたたみかけることもある。

「間」の取り方にも、医者それぞれに癖がある。
他の医師の診察を見る機会があれば、そのあたりを意識して観察すると面白い。観察しているだけでも、「間」引き出しは増えてくる。





治療のために、患者さんの10のことを分かってもらう必要があると仮定
1回の面接で10、2回の面接で5ずつ伝えるやり方は、結局、非効率なんだろうなぁと、最近反省している。
1回の面接で1ずつ、時々やり直すから、結局20回くらいの手間(?)をかける。こういうやり方のほうが、お互いのストレスが少ないままで、治療が進むような気がする。


Not Che / Photocapy


治療が始まったばかりの時には、伝えないといけないことが多い。早く治るためには、全部を伝えきってしまおうと、余計に焦ってしまう。必然的に1回の面接で伝える量が多くなってしまう。
それは、濃密な診察と言えばいえるかもしれないが、患者さんの方も処理する量が増えてしまう。結果、混乱してしまうことも多くなるし、場合によっては、理解することを放棄しちゃったりする。

そこで、「1回の診察で、患者さんに渡すおみやげは1つ」という原則が大切になる。
10の伝えることがあるのならば、その中から現時点での最優先事項を1つ決める。その1つを伝えるために、最善の手段を考える。これが基本。
何を最優先事項にするか。それを決めるのがセンスであって、かなり論理的な判断で決めることもできる。

一方で、患者さんや家族の方は、”早く治りたい”という気持ちが強い。だから、多くのことを知りたがってくることも少なくない。
でも、そのペースに巻き込まれると、上手くいかないことが多い。
やるべきことは、そういった相手の焦りのコントロール、つまり「情動をコントロール」することに気を配ることだ。そして、「共感」という媒介が必要。


診察では、治療に対して必要なことを判断、優先順位をつけていくという「論理的な判断」
相手の情動に寄り添う「共感」
この2つのバランスの取り方が大切なんだと思う。



2010 ITEST Advisory Board Meeting / NWABR



終わってみれば、いつもの当たり前のお話。




2013年11月27日水曜日

正解は「神様だけが知っている」


大きなアクシデントが発生しない内に適切な対処をしていく。その結果、何事も無い日々が続いていく。
これが、リスク・マネージメント的な考え方での理想的な対処方法。

この方向で考えると、些細な症状の段階で適切な対処をしていく。そうすることで、大きく症状が悪化することがない生活が送れるようにする。これが、理想的な治療の展開になるのかしらん。



PMBOK Cafe Risk Management (1) / Robert Higgins


「うつ病」と言い切るまでには至らないが、そこそこの抑うつ状態の患者さんへの治療について考えてみる。
軽い抑うつ状態なんだけれど、なんだかこじらせそうだなぁと判断した時の治療と言えばいいのか。

多くの場合、抗不安薬を中心とした薬物療法が選択されるように思う。
でも、自分の場合、抗不安薬への依存傾向が出てきた場合とか、症状が進行して抗うつ薬を必要とする展開になる可能性とか、マイナスの要素を、わりと気にしてしまう。
ということで、明確に「うつ病」と診断していなくても、抗うつ薬中心の治療を試みることがある。わりと良くなるケースも多いし、本格的な「うつ病」の治療に比べても、投薬量も少なかったり、服薬を続けてもらう期間も短くてすむ印象。
しかし、患者さんからは、「病院で薬をもらったけれど、あんまり効いた気がしない。今も、私は元気でいる。だから、あの薬は必要ないのに飲まされた」と解釈される場合もあるんじゃないのかしらん。

確かに、「これが教科書的に適切な診断・治療なのか?」というと問われると、自分も「うーん」と、ものすごく悩まざるをえない。過剰診断、過剰治療と判断されても仕方ないことは認める。
それ以外にも、第三者から批判されてもしかたがない部分もあるだろうし。「後医は名医」バイアスなんてのもある。

どちらの治療が正解だったかは、「神様だけが知っている」んじゃないかなぁ。

こういうのに、明確な答えと、答えの出し方がはっきりしていると楽なのかもね。
でも、楽かもしれないけれど、面白くないかも。なんてことも考えてみたり……



"Jesus I trust in you..." / Art4TheGlryOfGod

2013年11月25日月曜日

「感謝」を媒体とした共依存関係 (チラシの裏)

数日前に、医療者が「患者さんに感謝されることをモチベーションとして、仕事をすること」が、TwitterのTL上で話題になった。以下は、そのことから思いついたことの連続ツイートを、まとめ直したもの。
冒頭の話題からは、内容がちょっとズレている。




患者さんの感謝だけをなるべく得るように対応をする」医療者というのは、何人かみたことがある。本人や患者さん、そして周囲の人にもそういった意識はないかもしれない。
だが、その人たちの行為を、自分は今でもそう解釈している。

患者さんと医療者の間で、「感謝」を媒体とした共依存関係と言えばいいのか。
こういった関係は、当然歪みがあるわけで、そのツケは、共依存関係の二人の周囲の人間が払うことになる。おまけに、その関係は長続きしないで、破綻することが多い


とはいえ、感謝というのは上手く働く可能性が高い代物であることも事実。

だから、「感謝のコントロール」というものを考えたほうがいいんじゃないだろうか…… 

これについては、自分自身への後日の課題とする。
やれやれ。


以上、まとめ直し終わり。

多分、折に触れて思い出したり、考えなおしたりする内容だと思うので、ブログにメモ代わりとして残しておくことにしたわけで。

チラシの裏、ごめんなさい。


Cat Shots / ericrichardson



2013年11月22日金曜日

当たり前みたいだけれど気付いてないこと




自分たちが仕事で何気なくやっていることが、外部の人間から見たら奇跡か魔法のように認識される。
そういう状況って、少なからずある。


普段何気なくやっている自分のやっている仕事。
その仕事が、自分にとって、その仕事の意味は何なのか
部外者の人は、仕事のどの部分を見ているか結果のどの部分を評価しているのか
そんなことを意識してみるのは大切。

そういった意識から、自分の仕事あり方を、違った意味合いを持って認識できるかもしれない。
そしたら、新しい面白さを見つけて、面白く仕事ができるんじゃないかしらん



AusAID Counsellor for Samoa, Anthony Stannard meets with grandmother and small business owner Keka Misa to find out how AusAID-funded prepaid electricity meters are helping her to manage the household budget. / Australian Aid photo library



逆に、部外者が、奇跡を起こせるものだと勝手に信じて要求してくる場合も少なからずあるのも確か。
こういった場合、相手の間違った(?)認識を修正するというか、ずらしていく方法やテクニックも考えておきたい。

飲み屋のお姉さんに、「あらっ、精神科医の先生なんですか?じゃあ、私の心もわかりますよね」というのは、お酒の場でのバカ話として十分成立する。
でも、診察の場で、「精神科医なんだから、私の気持ちがわかって当たり前でしょう!」という展開の辛さといったら……


Angry / kenkwsiu





2013年11月13日水曜日

癌への治療の理解も必要だが、精神科の治療も理解して欲しい

Twitter経由で、次のようなブログ記事を見かけた。

すい臓がん患者さんが語る、近藤理論への怒り|Dr.和の町医者日記


癌の治療については、非常に大切な意見が語られているので、一読することを勧める

ただ、それとは別に、どうしても看過できないことがあったので、それについて書いておく。

文中に、この患者さんが友人の医師から治療を勧められたというエピソードがある。その中で、「措置入院」という言葉が用いられている。
これに関しては、さすがに眉をひそめざるを得なかった……

非精神科医療者が、「(身体的)治療に同意しない患者さんなので、精神科に措置入院をさせて……」と考えることがある。
これは、自分でも依頼されたという実体験がある。だから、この記事の内容も、「物の例えの話として」スルーすることができなかった。

措置入院という入院形態は、精神科治療で行われる治療の中でも、最も強制力の高い入院。
だが、あくまでも「精神疾患に対する治療」が前提
対象となる人が、精神疾患ではない場合には、適応もへったくれも無いわけで…… 

逆に(?)、統合失調症などの患者さんの中には、身体疾患(それこそ、”癌”も含まれる)の治療が必要であることを十分に判断できず、治療自体を断ってしまう人も少なくない。
そういった患者さんは、手術などの適切な治療を受けないと生命に関わる状態であっても、身体科の医療側から治療ができないと断られることがある。
治療に対する本人の同意がないと治療ができないという理由であり、それも理解はしている。

ただ、措置入院を必要としないレベルの精神疾患の患者さんでも、必要な身体的治療を受けることができなくて、命を縮めてしまうケースは少なくない
こういった現実もある。
精神科医療者は、その度に、独特の悔しさというか、やるせない気持ちを味わうことになる。



Worried and solitarian / pedrosimoes7


発端となったブログ記事にでてくる「友人の医師」。
この人が、精神科医であれば、ジョークとしては筋が悪いなぁと思う。
非精神科医であれば、精神科医療に対する理解が乏しい医療者だなぁと思う。
記事のための演出部分であれば、この部分はいただけないなぁと思う。


「措置入院でもさせて、手術を受けさせるつもりだ」といった類の考え方は、精神科医療の現状とは、全くそぐわない内容なんだよね

その点は、理解していて欲しい。


ANGER! / Amy McTigue




2013年11月8日金曜日

生誕129周年って、無理矢理感あるよね


Google先生によると、今日(2013年11月8日)は、ヘルマン・ロールシャッハ生誕129周年になるそうで。TwitterのTLも、そのネタがチラホラと。

本当は、自分のツイートのリンク先は、@psypubさんの改定前のツイートなんだけれど、まぁいいか。


ロールシャッハ・テストになると、流石に自分ではやらないというか、できない。
検査を依頼した心理士の人から、テスト結果の解釈を教えてもらうのが、ものすごく楽しみ。

でも、実は、解釈よりも、生データ(それぞれのカードで、どんな風に答えたのか)を教えてもらうほうが好きだったりする
生データを見ながら、患者さんの心理状態というか、どういった心の働き方をしているか、自分なりの仮説を組み立てることができるから。

それぞれのカードに対する答え方で、その患者さんがどんな風に考えていたのか、どんな精神状態になっていったのか等々、自分の中で仮説を立てながら、診療場面の患者さんの所見と照らし合わせていく。
そして、見立てや診断を修正していく。
こういった時に、精神科の仕事って、面白いなぁって思うだけれどね。


時には、発症間もない微妙な段階の統合失調症なのか、一過性の心因反応みたいなものか、それとも感情障害なのか、微妙な診断を考えることがある。
そういった時には、案外ロールシャッハ・テストとか、バウム・テストとかが有効なのかもしれないなぁと思ったりして。(あくまでも、個人の感想です)


I've got a bad feeling about this / Falashad



追記
当初アップした記事中に、不適切な画像が使われていると指摘がありました。
その指摘に従い、該当の画像を削除しました。
誠に、申し訳ありませんでした。



2013年11月6日水曜日

ふと思いつくことは、気に病まなくてもいいのでは



アルキメデスの”エウレカ”じゃないけれど、「あっ、こういうこと思いついた、俺ってすげぇ!」って思うようなことを閃くのは、朝起きた後にシャワーを浴びている時が、わりと多かったような気がする。
(そうか、最近朝にシャワーを浴びていないから、ダメなのか……)

他にも、自分でノートに書き出しながら色々と考えている時、ふと全く別のアイディアがポンと浮かんでくることもある。
時には、そっちのアイディアが面白いこともあったり、ノートの書き始めと終わりでは、全く話が違っていたり。

一つのことを考えているつもりでも、ふと違うことを思いついてしまう。そういった経験は少なくない。



« Eurêka ! » / Adrien Leguay



ずっと同じことを考え続けていると、思考が硬直化して、視野が狭くなり、袋小路に迷い込んでしまいがちになる。
周囲の環境を変えたり、体の状態をリラックスしたりして変化をつけることで、思考の硬直化が緩んで、新しい視点からの発見が出てくるんじゃないかと。

一つのことを考え続けるのは、効率が悪くて、思考の体力を無駄に浪費するので、お勧めではない
ただ、全く別のことを考えていると、少し前に考え続けていたことについて、閃きが生まれる。それは、むしろ脳の働きとしては自然の流れじゃないかと。

だから、仕事のこととか、前から抱えている悩みとか、そういったことをリラックスしている時に、ふっと思い出してしまうことは、必要以上に気に病まなくてもいいんじゃないかな

閃きの扱い方は、人それぞれのやり方になるだろうね。
閃きを逃さないように、すぐさまその方向で考えを深めていくのもいいし。簡単に、メモするだけでもいいし。また、閃くことを期待してスルーする人もいる。
大切なのは、思考の体力を浪費しないことかな。このあたりのマネージメントも大切。


Archimedes / [Duncan]


2013年11月5日火曜日

「ウソ?」っていう切り返し


バラエティ番組のワンシーン。
女性「◯◯どうだった?」
男性「うん、楽しかったよ」
女性「ウソ?……」

最後の「ウソ」って、挨拶のような、むしろ肯定的なニュアンスなのは理解できる。


でも、こういう時に「ウソ?」っていう切り返しの癖がある人は、ちょっと注意した方がいいよなぁと思いながら見てた。


Terrace house porch / The Shopping Sherpa

(写真は、テラスハウスで検索)


会話でのやりとりをする時。
頭の中で考えぬいた内容は口にする時にも、意識している部分が多い。だから、失敗することは少ない。
一方で、何気ない切り返しとか、相槌とかの場合、思わぬ癖が出る時がある。これは、ちょっと怖い。


これに対しては、下手に癖を治そうとすると難しいかも。大事な場面では、やり取りの一つ一つに、些細な事でも気を払うようにするのがいいのかも。


それとは逆に、一見意味ありげな一言であっても、相手にとっては脊髄反射レベルの何気ない一言だったりすることもある。
その区別をつけるには、相手の思考パターンというか、癖みたいなものを把握することに、少し気を払うのもいいかも。

深読みするべきことか、聞き流してよいことか…… これを判断する能力が、いわゆる”センス”と呼ばれるものの一つ

この手のセンスを高めるには、経験を積み重ねることが一番なんだよなぁ。
ただし、意識していないと、”経験値”として加算されない。


Inspire Conference Day 3 / Jeffrey

じゃあ、どうやって意識できるようにするか。そのやり方を試行錯誤するのも、面白い。
そうじゃないかしらん?