2013年9月18日水曜日

「黒い犬」をゆるキャラにしたら


ウィンストン・チャーチルは、双極性障害で、自分のうつ病の症状を「黒い犬」と名付けていた。
病気の症状に限らず、自分の性格の特徴とか気質とか、そういったものを「キャラ化」してしまう
これは、自分の心を上手く扱うの一つのやり方ではないかと、試行錯誤。



slobber dog / Nesster


チャーチルの例で考えてみる。
「黒い犬」をいっそのこと、ゆるキャラ化してしまう。ゆるキャラなので、ちょっとブラックなところがある方が、むしろキャラが立つ。
「きょうのわんこ」ならぬ、「きょうの黒い犬くん」みたいな扱い方を想定してみたり。


Handknit Felted Black Dog / Barking Dog Designs



キャラ化する作業には、ある程度手間をかけて、練り込んでいく。ここが一つの肝。
自分自身を見つめなおして、長い時間お付き合いできるキャラを作る。その方が、上手くいきそうな感じ。
そうでなければ、逆に思いっきり曖昧なキャラにして、長い時間をかけてつくり上げるのもアリかもしれない

自分がお付き合いしていくキャラを作り上げる作業。
具体的な例としては、いつも勉強させてもらっている病理医のヤンデル先生が、自分の使っている「りーちゃん」というキャラクターをぬいぐるみにする時に書いていたイラスト。こんな感じで、キャラを練り上げる。



思考を具現化する能力がある人っていうのは、とてもうらやましい。
自分には絵を描くスキルが無いことが、本当に悔しい。

かたや、時間をかけてつくり上げる例。
市販のぬいぐるみをもらった子供が、まず名前をつけて、話しかけていく。そうやって遊んでいくうちに、いつの間にか、そのぬいぐるみに性格が設定されていて、生き生きとした存在として成熟していく。最後には、ぬいぐるみは、その子供にとっては、唯一無二の存在になっていく。
そんなキャラの成長の育て方もあると思う。

ゆるキャラ化には、もう一つ意図がある。
そのキャラが、”最後にはそれなりに、上手くいく”というストーリーの主人公に、そのキャラがなること。
それを考えると、「重い感じの」キャラではなくて、”ゆるキャラ”という「軽さ」がストーリーを転がしやすい。
そういった物語作りについては、また改めて考えたい。

それだけではなく、自分自身の内面のキャラ化とその扱い方については、もう少し考えていこうと、画策中。

やれやれ。 

2013年9月16日月曜日

「統合失調症がやってきた」 ハウス加賀谷 松本キック 著 : 読後の第一印象



統合失調症の体験記としては、素直な内容。一般向けと言う意味でも、良書。




「素直な内容」。これは、当時の出来事や体験したことを、そのまま書いているという意味ではない。
それらを基にして、”伝えたいことが素直に伝わるように書かれている内容”という意味。

予想以上に、編集とか校正とか、手が入っているのではないかと勝手に解釈。
そういった作業がないと、これだけ、創り手の思いや伝えたいことが、理解しやすくならないんじゃないかと思うからなんだけれど……

筆者本人だけでなく、色々な人の関わりが感じられる。そういった意味での良書ですな。


素直に他人に勧められる、良い本だと思います。


2013年9月12日木曜日

チラシの裏: 信心があることは悪くないんだよなぁ

この歳になって、一般的な宗教に頼ってゆく人の心の一端が見えてきたような気がする。
今更感が半端じゃ無いんだけれど。

幼少時の躾として、それなりにまともな(?)宗教の価値観を身につけておくのは、自分の思っていた以上に大切なことに思えてきた。



お坊さんの袈裟が撮れなかった。。。 / masterq


信心に基づく考え方や習慣が身についていない状態で歳をとってから、将来に対する不安や後悔を(無意識に)感じてしまった時に、どうするか。
無理やり帳尻を合わそうとしたら、「信心をこじらす」リスクが高くなりそう。
良い師というか、きちんとした宗派の指導者に出会えれば、別なんだろうけれど。

こう考えていくと、コツコツと何かを積み上げていくスキルって大切なモノだと再認識。
8月末になって、終わりそうにない宿題のヤマを目の前にした子供に対する教育とか、躾っていうのは、案外大切だね。
コツコツ・スキルが必要とされる。その一方で、失敗した時に適度にやってしまった感があるけど、たかが宿題だから、リカバリーは十分効くから。

2013年9月11日水曜日

「死にたいって、考えたらダメ」という悪手


このツイートをみて、少し考えてみたこと。


うつ病などで、希死念慮を訴える人に対して、「あなたは、病気のせいで、そんなことを考えてしまっている。今は、考えたらダメ」というアプローチをしてしまうケースが、時々ある。
希死念慮で苦しんでいる人を目の前にした時に、「考えたらダメ」とか、「考えないようにしましょう」と言いたくなる気持ちは理解できる。
でも、こういった言い方は、わりと悪手だったりするので、注意が必要。

希死念慮がある状況で、「”今”死にたい気持ちになっている」ことは、患者さんにとっては、紛れも無い事実。
周囲の人間は、その事実を認めて共有する。それが大切。

「死にたい気持ち」を共有すると、「じゃあ、どうすればいいのか」、「間違った言い方をしてしまったらどうしよう」といった不安が、切実に心の底から湧き上がってきて、いたたまれない気持ちになることも、しばしば。
でも、それに耐えることが、「受容」であったり、「共感」であったりするかも

同じように不安に耐えている存在が傍にいること、それ自体が、患者さんの気持ちに届くものかもしれない。

「病気だから、そんな気持ちになるんだよ」という言葉は、患者さんに伝える言葉ではある。それと同時に、対応する側の人間が、自分の心の支えにするための言葉であるかもしれない。


Counseling / Alan Cleaver



こういうことを考えると、「今、この場所で起こっていること」という感覚って、大事なんだろうなと思い直しました。


2013年9月9日月曜日

「病識は無いけれど、病感がある」という記載


自分の場合、カルテに「病識」と「病感」を使い分けて記載している。
この違いについて、スタッフなどから、突っ込まれたことがないのだが、分かってもらえているのか、スルーされているのか。はたまた、そんなところなんて読まれていないのか……

「病感」は、自分が精神疾患かどうか理解していないが、自分自身で感じている不調とか、簡単な指摘で認めることができる不調みたいな、患者さん自身の感覚、という意味合いで記載。

「病識」は、患者さんにある程度疾患の説明をした状況で、現在感じている不調が病気や障害による症状である理解、という意味合いで記載している。

だから、「病識は不十分であるが、ある程度病感はあると思われる」なんて記載をしたりする。


「病識」や「病感」は、同じ患者さんでも、病気の状態によって変わってくる。
急性期になると、「病識」は吹っ飛んで、「病感」すら曖昧になることも珍しくない。

一方、「病感」は十分にあっても、「病識」にはなかなか至らない場合もある。こういうケースは、疾患をどれくらい受け入れることができるか、そこがポイントになる印象。



worried 心配しているな / jessleecuizon




「病感」と「病識」という観点から、治療での患者さんへのアプローチを説明すると、こういう流れになるか。

初発の患者さんの場合、多くの場合、「病識」はもちろん、「病感」すら曖昧である。

そこで、身体的に感じたり、気分として感じる「不調」を言葉にしてもらったり、行動の問題点を指摘して、共有していく。
そのやり取りの中で、自身の「不調」を「病感」として分かってもらえることが多い。

さらに、一緒に「病感」について考えていく中で、”「病感」が病気の症状であること”にまで、考え方を広げていく。

その段階になって、病気の説明をしていくことで、患者さんの「病識」を作り上げている。

おおまかに言って、こんな感じ。

患者さんと共に、「病識」や「病感」について認識を深めていく過程は、精神科治療の醍醐味の一つじゃないかと思うくらい、やりがいのある作業だと思っている。


Conversation / Search Engine People Blog



ところで、自分の周囲の治療者は、このあたりの言葉の使い方が、どうにも曖昧だったような気がする。
というわけで、この内容は、”あくまでも個人の使い方です”的なところがあるので、悪しからず