2013年8月26日月曜日

今の治療方針は、何年後まで有効なのか……



このツイートをみて、ふと思ったこと……

経済は常に成長し続けるものだと思っていて、今になって生活設計の変更を迫られている人って、多いはず。
で、精神病院に長期入院になっている患者さんとその家族にも、同じような問題が当てはまるんだよな。

精神病院に15年以上入院しているような患者さん。入院当時は、治療の方法の幅も限定的だったし、大きな医療方針としても囲い込み推奨であったわけだし。
「このままでは、社会に出ていくのは難しいから、ずっとここでみていてあげよう」という治療は、悪いものではなかったところがある。
一方で、その後、大きく変更された医療方針自体は悪いものではないと思っている。
でも、10年以上前の約束を信じて生活を組み立てた家族にとっては、今になって「これは、無茶な住宅ローンの組み方しましたねぇ」と言われる以上のものがあるからなぁ……



Calculator / 401(K) 2013



かたや、治療自体の問題点として、「多剤併用によるマイナス」が取り上げられたりしている。
でも、治療開始時に定型抗精神病薬しかなかった状態で10年以上続いていた治療を変更していくのも、大きなパワーがいるわけだし、変更したから必ず有効であるというわけでもない。

今現在、スタンダードとされる治療のあり方。
これですら、10年後には、どう評価されるものかわからないわけだし……
こちらとしては、まず現時点でベターを目指していくしか無いのかしらん。やれやれ。

涙もろくなったのは、歳のせいかしらん


8割の人を泣かせる感動ドラマと、8割の人を笑わせるコメディ、どちらかを作れと言われたら、多分前者を選択する。
人の感情を刺激する場合、「笑わせる」よりも、「泣かせる」ほうが、ハードルが低いんじゃないかと思っているから。


自分自身の感性を磨くための効率的なやり方は、”良質なモノを経験していくこと”だと思っている。
「美味しんぼ」にしろ、「神の雫」にしろ、主人公は庶民のふりをしているけれど、よくよく考えると、高度な英才教育を受けている。美術品とか、食事とか、ワインとか、良いモノに触れて、きちんと解説をしてもらった幼少期を過ごしている。あれだけの才能があって、当たり前なくらいに。

「美味しいものがわかる」というのも感性なら、「面白いものがわかる」、「涙が出るくらい感動するものがわかる」というのも感性の一つ。
ならば、それぞれの感性というか、アンテナみたいなものを磨くのなら、それぞれに良質のものに触れていったほうが効率的ということになる。

ただ、「泣き」には注意が必要
「泣かせる」ことはハードルが低い。だから、食事でいう「ジャンクフード」みたいなもので、自分自身の感性が、それなりに満足してしまう危険性が高そう
それって、何となく恐ろしい。

毎年恒例の某テレビ番組の一大イベント。見ないでおこうと思ったけれど、結局チラチラと見ていた。
適宜放送しているコンテンツをちょっと見ただけでも泣いちゃってしまう自分がいた。歳とって、涙もろくなったと痛感。
しかし、ふと我に返ると、「何故、泣いているんだろう」という、ちょっとした違和感が何処かに存在していた
一流の料理評論家とか、ソムリエとか、そういった人が、一流でないものを口にした時に語る、嫌な感じって、こういった違和感みたいなものなのかなぁと思ってみたり。


そう考えると、自分自身の感性に与えるモノも、少しは吟味したほうがいいのかしらんという気がしてきた。
少なくとも、「ジャンクフードばかり食べているのに、味に関して講釈をたれる山岡士郎」にならないように、少し気を使ってみようかしらん。

「負けないで」を何となく脳内再生しながら、考えてました。

やれやれ。








2013年8月11日日曜日

常に眼を離さないでいてください……



認知症男性、線路に入り死亡 電車遅れで遺族に損賠命令  :日本経済新聞: 「男性の介護体制は、介護者が常に目を離さないことが前提となっており、過失の責任は免れない」

上記リンク先は、「常に介護が必要」とされる「認知症高齢者自立度4」と診断されていた、91歳の認知症の男性が、線路内に立ち入り電車と接触した死亡事故。JR東海が、男性の家族に損害賠償をしたところ、地方裁判所が全額の支払いを認めた。という記事。(もしかしたら、リンク先は消えているかも)

記事の中では、裁判長が、「男性の介護体制は、介護者が常に目を離さないことが前提となっており、過失の責任は免れない」と判断したことが書かれてあった。



”「常に介護が必要」とされる「認知症高齢者自立度4」”というフレーズ。
このフレーズを、家族、医療者、司法の三者が、それぞれ、どんなふうに解釈していたか
それが、気になった。 



もう少し具体的に、考えてみる。
例えば、”「男性の介護体制は、介護者が常に目を離さないことが前提となっており、過失の責任は免れない」とした。”とあった。



i am watching you / Darwin Bell


慣用句としての「常に目を離さない」と、文字通りの「常に目を離さない」とでは、大きく意味が違ってくる。
実際、自分自身も、書類上の決まり文句であったり、患者さんの状態によっては家族への説明で、「常に眼を離さないように」という類のフレーズを使うことがある。
注意が必要であることを意味するために使う場合もある。家族に対して、現実的には難しいことを分かってもらい、入院治療への説明の導入に使う場合もある。

今回の場合、「常に目を離さない」というフレーズは、どんな立場で解釈したり、されたりしていたのか……

ところで、発達障害関係の話題で、「当事者が、言葉の裏の意味を解さず、文字通りに解釈してしまって、生活や職場でトラブルのもとになることがある。だから、障害の特性をよく理解しましょう」といった問題が、いろいろな形で取り上げられることがある。
それくらい、自分たちの社会って、良い意味でも悪い意味でも、「言葉の裏の意味」が大切だったと認識していたつもりだった。違ったのかしらん……

もちろん、司法の論理、世間の論理、医療の論理、そのほかの論理。それぞれに、微妙に齟齬があることは分かっている。
この齟齬を少なくするために、意見のすり合わせを、これまで以上に意識して、手間をかけないといけなくなったということかな。
これが、なかなかに難しい。

分かってもらえるまで説明の回数を増やす。文書化する。承諾のサインを得る。……などなど。
具体的には、こういった作業を増やしていくことになるはずだし、そうせざるを得ない。
正直、やれやれという気持ちになりますな。


Last station nursing home / ulrichkarljoho



(追記)
この判決のような方向に話が進むと、問題行動があるような人に対して何日も維持できる、「常に目を離さない」という理想的なサポート体制というものをはっきりとさせないといけなくなる。
誰かが具体的に作り上げて運用させることが必要になってくるのかも。
誰がやってくれるんだろう……
(最初に、Twitterでつぶやいた時に、”この裁判長に、介護を実際にやらせてみろ”みたいな意見があった。自分は、そうは思わない。裁判長も、司法の論理で考えて判断しただけのことであるから。判断の良し悪し(?)と、理想の提示は、別の話だと思う)



2013年8月9日金曜日

あくまでも、”なんちゃってCBT”での話

こういったつぶやきをみて、ちょっと思ったことのメモ


自分のやっているのは、”なんちゃってCBT”なんだけど。
こういうのは、ある程度長期的にやれるかどうかがポイントじゃないかと思っている。
ダイエットと一緒で、やり始めた最初の時にそれなりの効果がでてくる。それに油断して中断すると、元の木阿弥みたいになりがち。


栄養士、トレーナーや医師が、長期間つきっきりで管理してくれるダイエットならば、成功率もかなり高いはず。でも、誰もがそういったダイエットが出来るわけもない。



Get Slim Fast With These 7 Simple Tweaks - Eat Real Fruit As an Alternative to Drinking Fruit Juices / UrbaneWomenMag


ダイエットに必要な理論をそこはかと知ってはいる。
その上で、”もう失敗しない、◯◯ダイエット”という健康番組を見て、それを信じながら「どうしたら、やせますかねぇ?」という相談にくる人を対応する。

こういうのが、自分の仕事の立ち位置だとは思っているんだよね。




2013年8月2日金曜日

”頭の中でわかっている内容は”、けっこう危うい


現実的処理能力が低いことに自覚のない患者さんと、思い込みがちょっと強いコメディカルのコラボに、頭を悩まされていた。
まぁ、いつものことなんだけれど。
患者さんの個人情報の問題があるので、具体的な内容は書けない。
でも、色々と考えることはある。



y2.d40 | worry lines / B Rosen


思い込みがちょっと強いコメディカルの人は、そう珍しくもなくて、往々にして記録が上手くなかったり、疎かであったりする人に多い印象。

例えば、
「この件、どうしたらいいんですか?」と聞かれる。
「じゃあ、確認したいから、その時の記録を見せて」
「まだ、書けてません」
「えっ、それって昨日のことでしょう? 記録してないの?」
「いや、先生に相談してから、書こうと思ってました」

こんなやりとりから、始まった相談というのは、なかなかまとまらない。
それは、客観的な情報が乏いし、こちらからの提案も通じにくいことが多いから。
そして、その人の頭の中だけで、一つのストーリーが出来上がってしまっているから。

何らかの対応をしたら、まず記録をする。そして、記録に基づいて相談。相談した結果をまとめて、また記録する。
この手順を疎かにしている理由を聞くと、「頭の中に覚えているし、わかっているから大丈夫」という答えが返ってくる。

”頭の中でわかっている内容は”、けっこう危うい
それは、柳の下の幽霊であったり、裸の王様の服であったり、実態はなくて虚像に近いものであることが多い。
そもそも、頭の中というのは、結構混沌とした闇の世界だったりするわけで……



メモやノートに書き出すこと。

誰かに話して、きちんと説明すること。

こういった作業は、思っていることを具現化する。
言い換えれば、頭の中のわけのわからないモノを闇の中から光の当たる所に引っ張りだして、はっきりとその正体を見定める手続きになる。
正体をきちんと掴むことが出来れば、当然、上手く対応できることになる。
記録することの大切さは、こういったところにもある。



Taking notes / @boetter


だから、柳の下の幽霊と格闘するのは勝手だけれど、お願いだからこっちを巻き込まないで欲しいなぁ。やれやれという気持ちになりますな。