2013年2月21日木曜日

「ちょっと引き受ける」ことを意識する


児童精神科医 姜 昌勲先生のツイッターのつぶやきを読んで、最近の自分の臨床のスタイルの変化について考え直してみた。



例えば、アルコール依存症の患者さんの診察での対応。

「あなたは、アルコール依存がある。だから、今"お酒を飲みたい"と思うのは当たり前。でも、飲み続けるのはまずいよね。じゃあ、これから、どうするかということだよね」

こんな感じの対応をすることが、最近多くなったなぁと思っている。

最近なんですよね…… つまり、以前はこういった対応ができていなかった精神科医であるという、恥ずかしい告白です。


自分の場合「”お酒を飲みたい”と思うのは当たり前」と言えるようになるまでのハードルが高かった。このフレーズを、患者さんによって色々と言い方や言葉を修正しながら使えるようになるまで、かなり時間がかかった。

上手く言えるようになってから、自分の治療の質が変わってきたような感覚がある。



どんな病状の治療であれ、治療というからには、正しい手続きを積み重ねていくことが必要。そう信じて、なおかつ、早く良くしたいという気持ちが強かった。
でも、正しい手続きを急いで積み重ねていけば、それに応じて、早く効果が出るのかというと、そうでもない。

むしろ、積み重ねていく途中で、ちょっとタメというか、待つというか、そういった「相手のことを、ちょっと引き受ける」という意識と行動が必要だと、どこかで思い当たったような気がする。

その結果として、「”お酒を飲みたい”と思うのは当たり前」と言えるようになったんじゃないだろうか。それが、成長といえば、成長かもしれませんが……



Awaiting Sunset / Jayel Aheram




きちんと臨床ができる人は、こんなふうに考えなくても、普通に上手く患者さんに伝えることができている。どちらかというと、それがなかなかできなかった私自身は、やっぱり大きな問題があったよなぁという反省の日々です。

まぁ、こんな人間でも、とりあえず精神科医やれているつもりです。

2013年2月20日水曜日

分かってもらうために意識すること


人と人との意思疎通というか、コミュニケーションというか、そういったものを考えていると、最後には「同床異夢」というところに着地してしまう。

「うん。あなたのことは、わかりました」というのは、「あなたのことをこう考えている自分がいることが、わかりました」ということなんだろうな。

だから、自分のことをわかってもらうためには、私を理解してもらうための材料を提供するという感覚を持つといいんじゃないか。
理解し難い材料を提供すれば、相手の理解は、自分が期待する「私」から離れていってしまう。
もちろんその逆も、当然ありだ。



/ [ hair. mo ]




言葉だけじゃなくて、非言語的なものや、見た目とか、立ちふるまいとか、色々なものが、材料になる。
そういった諸々の材料はコントロールすることが可能だし、コントロールの主導権は、自分にある。そこを忘れてはいけない。

ということは、自分自身をプロデュースしていく能力も、コミュニケーション能力の一つか……


終わってみれば、実に当たり前の結論になってしまったな。やれやれ。

2013年2月14日木曜日

雑感: medtoolz先生のブログを読みながら




なるべく同じ言葉を使いたい - レジデント初期研修用資料:

'via Blog this'

上のリンク先にある、medtoolz先生の記事を読みながら考えたこと。
ということで、リンク先の記事を読まないと、わけがわからないかも。




精神科での治療場面でも”言葉は統一されていないと、実際痛切に感じる。

同じ精神科医同士でも、少し世代が離れたり、出身医局や研修施設の違いからくる文化の違いがあると、紹介状の文面や電話でのやりとりでは、患者さんの状態が伝わってこない感じがする時がある。
患者さんと直に顔を合わせて、その時に初めて相手の言いたかったことがわかる、なんてことも、しばしば。

 医者同士ですら、言葉の共有が難しい状況。そこにコメディカルが加わると、どこまでのレベルで話をしていいのやら、困ってしまう。




それから、精神科医療の場合、ある患者さんについて複数の医師が「同じ診断、同じ重症度にたどり着く」ことが、なかなか難しい。
このあたり、身体科の感覚と、精神科の感覚がどれくらい違うのか、以前から知りたいと思っている。



Cause of death / Matti Mattila




自分がいろいろと工夫をしてきた説明を、コメディカルの説明によって台無しにされた経験は少なくない。
特に薬剤師によるそれが、「悪質」な印象。これは、全くの個人的な偏見に近い認識だけど。うん、異論は認める。




”「すべての職員が同じ内容に対して同じ言い回しを使えること」が大切”
これは、本当にそう思う。
ただ、これが実行できるには、他の職員を自分色に染めるくらいに鍛えあげないとダメなんじゃないかと。
もう、医龍の「チーム・ドラゴン」くらいの実力と意識がそろった面子じゃなければ、実現できないくらい難しい課題じゃないかと。
それでも、(原作とテレビドラマとをごちゃごちゃに取り上げるけれど)チームメンバーですら、時に主人公の思考についていけない状況が、何回もあった。そして、一人の研修医がそういった修羅場をくぐって、最後には成長した。それでも、そこにたどり着くまでに必要とした経験値は、どれほどのものかと……



 ”そんな工夫を組織的に行なっている業界も、たぶんどこかにあるのだろうけれど。”
そうなんだよな。
だから、異業界でのノウハウは、本当に教えて欲しいと思う
というか、自分から、知ろうとしないとダメなんだろうと思う。
この点については、ネットが一般的になって、ハードルは下がってきているはず。





追記:medtoolz先生による内科診療ヒントブック。自分は精神科医だけれども、いや、精神科医だからこそ、こういった本が役に立つ。本当に助かっている。






2013年2月11日月曜日

双極性障害って、難しいよね


Twitterを見ていても、双極性障害の診断に関するつぶやきが目にとまることが多い。


曰く、「生活歴の聴取が大切。軽躁状態があれば、双極性障害を考える」

曰く、「うつ病とは、使う薬が違ってくるので云々……」

曰く、「きちんと診断をしてもらって、正しい認識で……」

等々。

そういうのを見る度に、自分がふと思うことをTwitterでつぶやいてみた。







こう考えると、双極性障害の診断とか、治療とか、思う以上に難しいものだよなぁと、再認識。


これら一つ一つについて、もっともっと考えていかないとダメなんだよなぁと、場末の精神科医としては考えるわけです。



Thinking RFID / @boetter



2013年2月8日金曜日

そりゃ、うるさく言われたくはないよね






このつぶやきを読んで、ちょっと思ったこと。



生活指導が”余計なお世話”と解釈される場合は、どうすればいいものだろうか。
そう考える人にとっては、指導されることが、”ダメ出し”されているように感じているんだろうな。きっと。

「医療側と患者さん側の間で、共有することができる治療目標を設定する、それが臨床の腕の一つですよ」
なんて言われたら、反論はできないし、それまでだと思うけれど……






Riga Old Man / liber


「今まで、自分はこの食生活でやってきたし、悪くなれば入院して調子を整えたらいいんだろう」という考え方の身体疾患の患者さんは、少なからずいるんだろうと思う。
これに似たロジックで考える、精神疾患の患者さんも、当然いるわけで。
中期、長期的なことを考えた治療のやり方を提案しても、当然、なかなか受け入れられるはずもない。

さて、どこに妥協点とか、共通の目標とかを見出すことができるか……
難しいなぁ。

「まぁ、人間って、そんなもんだよなぁ。とりあえず、そこそこでやっていこうか?」みたいなスタンスが、正解の一つかな。

それを上手くできないのは、まだ自分が達観していないからなのか。未熟だからなのか……







2013年2月6日水曜日

ちょっとカチンときて、やってしまった


慢性期統合失調症の患者さんの診察。こういう場合、どうしても、診察は半ばパターン化されたやりとりの診察になってしまう。

ふとした思いつきレベルのきっかけで、「そのあたり、もう少し詳しく言える?」みたいな問いかけをしてみた。
これで、パターンをちょっとだけ崩れることになる。

案の定、患者さんは、混乱してなかなか返答ができなくなってしまった。

でも、これは、病状を考えると、しかたないことで。むしろ、治療目的がはっきりしないまま、質問をした医師のほうが悪い

ところが、傍らにいた看護スタッフが、「あんなことも、答えられないんですね」みたいな内容を言ってくる。


ちょっと、カチンときた



そこで、そのスタッフに、私からの質問。

「何故、あの人はあんな状態になったと思う?」

そこから始まって、「どうしてだと思う?」式の質問をたたみかけていった。




tony_question / betsyweber




そのスタッフは、当然のごとく、涙目になってしまった。

「患者さんが混乱したのは、そういうことだよね」と説明したかったけど、たぶん無理だと思って止めた。

2013年2月1日金曜日

診断は、難しいよ


精神疾患の診断。自分では、それなりに自信を持ってやっているけれど、やっぱり難しいよ……

「なぜ、その診断にしているのか」という説明の難しさも、診断の難しさの一つ。

「この人、変なことをいっているから、統合失調症でしょう」と相談されたり、診察の場面で言われたりするのは、日常茶飯事。その中で、「統合失調症ではない」と、かなり自信をもって判断できるケースも少なくない。
でも、「変なことを言うので、統合失調症」と判断している人に対して、「自分は、何故統合失調症と判断していないのか」ということ理解してもらうのは、わりと難しい。
場合によっては、患者さんに病気であることを納得してもらうよりも、難しいことも。

医療者同士の間であっても、こういった診断の食い違いというか、判断の違いというのは、よくあること。
流石に、精神科医同士だと、議論として咬み合っていくことのほうが多いけれど、まったく無いわけではない。

頭のなかにあるモヤモヤとしたイメージを伝えて、共有していく。

これが、うまくいくと、相手に納得してもらえたり、議論が進んだりするのだろうし、自分自身の理解力も成長するはずなんだけれど




AD at Student Voices Discussion with National Council of Young Leaders 1 October 2012 / US Department of Education




ということで、患者さんを診ていく力をつけていくには、説明する能力を鍛えていくことって大切なんだよなぁと、最近良く思う。