2012年10月24日水曜日

つぶやきは誤解されるもの


文章や言葉は、自分の意図通りには、なかなか伝わらないもの

特にTwitterのような場では、わりと誤読されるものだと思うんだけれど。



だから、つぶやく時には、誤解されないように注意を払うことも大切。

でも、絶対に誤解されないつぶやきというのも、ありえない。で、誤解されるのと同じ意味で、自分も他人のつぶやきを誤解している場合も少なくないはず。


要するに、自分や誰かの気持ちを映し出す鏡とか、依代みたいなモノとかを、みんなが無秩序に放出している恐ろしい場所、それが、Twitterという場でもあるんだよなぁ。



[ M ] Duane Michals - Heinsenberg Magic Mirror of Uncertainty I (1998) / Cea.




2012年10月17日水曜日

「否定すること」からは逃れられない





病理医のヤンデル先生のつぶやきをみて、こんな風につぶやいて答えてみた。


相手の行動を変えるということは、多少なりとも、その人の価値観を否定することになってしまう

ということは、その「否定をする」行為が相手に受け入れられやすくするように、いろいろとアプローチを考えないと、上手くいかないんだよね




実際問題、精神科での治療を考えていく上でも、これは大切




Panton Discussion 3,RG / okfn




例えば、統合失調症の患者さんの治療で考えてみる。

患者さんは病気であるという感覚に乏しい (これを病識欠如って言う)。
そういった患者さんは、病的な世界の中で長い時間をかけて、患者さんなりの価値観を創りあげている。
その価値観というのは、こちら側から見ると、一見理解し難くて、どうしようもなく、間違ったもののように思える

でも、治療する時には、この価値観の違いを扱っていくことになる。

「妄想に対しては、肯定もせず、否定もせず」という鉄則がある。
でも、どうしても患者さんの行動を変えざるを得ないから、そこには”否定する”という色合いが生まれてくる


このあたりを、どうしていくか。


こういった価値観の否定の扱い方が、精神科医療のど真ん中の場面では、色々と試される

そして、それが精神科医療の醍醐味の一つじゃないかと思っている。





こういったところも、わかってほしいなぁと思うわけだ。




2012年10月16日火曜日

どれくらい、きちんと薬を飲めばいいのか?



一日の中での服薬の回数が少ないことも、非定型抗精神病薬での利点の一つだと思っている
ただ、定型抗精神病薬の服薬回数が毎食後+眠前で無ければならないかという検証は、この場ではしないけれど。

自分の処方のクセだけれど、ある程度症状が落ち着いた統合失調症の患者さんの処方だと、OLZは当然、RISだと一日一回服用のパターンにしている。
薬の服用回数が少ないほうが、コンプライアンスなどが高くなるのは当然だから。



Anxiety Disorder / arty.


定期的な服薬をしていることで、「病気が治ったな」という感覚
これは、大切だと思う。
でも、普段の治療の場面では大きな落とし穴につながるような不安が、どうしても拭い去れない。

例えば、きちんとした服薬で、大分症状が改善した患者さん。
こういった患者さんは、多少服薬が疎かになったところで、急速に症状が悪化することは少ないと思う。
それは今まで服用してきたから、症状を改善することの貯金があるから。その貯金があるから、病状がすぐには悪化しないような印象。

でも、油断した時は、怖いなぁ。
借金と同じで、危機的な状況になった時には貯金を使い果たして、健全な状態に戻るには困難になることも少なくない。



精神疾患に寛解や治癒という状況は無いんですか? と聞かれると、答えるのはなかなか難しくて……

服薬の継続とか、投薬内容の調節というのは、本当に正解を見つけるのが難しい。というか、正解ってあるのかしらん?

2012年10月10日水曜日

愚痴るって、大切なんだけどね



正しくグチをこぼせる場の設定って、大切じゃないかな。


何も考えずにグチを口にするだけでは、言語化する効果が薄れたり、場合によっては、悪意の拡大再生産になることすら、ありそう。


Twitterで匿名アカウントにして、自分のネガティブな思いをつぶやくのも、一つのグチのこぼし方としてあるかもしれない。
でも、思わぬ反撃をもらったり、肯定されたと思っているうちに妙な心理状態に導かれたり、どう考えても、ポジティブな結果に終わらないリスクが高そう。
あんまり、お勧めはしない。


ポジティブにしろ、ネガティブにしろ、自分の思いを一度形にするのは大切なこと。「グチをこぼす」のも、そのひとつではある。

じゃぁ、どうするのかというと、善意の第三者じゃないけれど、善意を持つ存在に取り扱ってもらったりメタ視点で考えなおしたりして、グチが処理されるといいんじゃないかな。




Consultation / thekirbster




前者の場合、つまり、善意を以って、自分の思いを取り扱ってもらう場合。
これには、相手があることだから、そこを考えないといけない。
つまり、ぐちをこぼすにしても、相手が善意を引き出してくれるように考えて行動をとるのが一番効率的じゃないかな。
たとえ、それが「偽善」に思えたり、そう見えそうな気がしても。

後者の場合、つまり、自分の思いをメタ視点で考えなおす時には注意がある。
「そんなことって、たいしたことじゃないんだよ」というくらいの姿勢のほうが良さそう。
自分で自分の考え方を上手く笑ったり、バカにしたりするような感じかしらん。
これが巧くできるようになると、人生に粘りみたいなものが出てきそうな気がする

だから、自分で自分のことをネタにして笑える人間は強いと思う。



一般の人が考えるレベルでの「カウンセリング」とか、CBTとか、こういうことを考えて見なおしてみると面白いかもしれない。