2012年8月24日金曜日

時間をかけてでも、身につけるべき習慣


自己啓発やライフハック的なもので、「感謝の気持ちが大切」というテクニックが、よく紹介されている。

でも、これって、「良い人アピール」とか「偽善ぽさ」のような印象があって、なんとなく実行するには、抵抗を感じてしまう。
感謝日記みたいなものをつけてみたりもしたけれど、三日坊主で終わることを何回繰り返したことやら……


でも、「感謝する」ことは、上手く人生を送るには、かなり重要なテクニックじゃないのかと、しばしば考えるようになってきた。

臨床の場面で、患者さんが調子を崩した時に、家族や医療サイドに対して、ポジティブな言動がでてくるか、ネガティブなものがでてくるか。
精神状態が悪いので、ネガティブな言動があっても理解できる。そもそも、そっちの方が多数派だし。


当たり前かもしれないけれど、ポジティブな言動ができる人は、なんとなく、今後の治療が良いものになりそうな気持ちに、こちらもなってくるし。

うん、やっぱり、「感謝」の有る無しって、予後みたいなものを大きく左右してしまいそうだな。


words / palavras / lilivanili



とっさの場面や困った時、人間からでてくる言動は、身体や考え方に染み付いたものが基になる。

ということは、窮地にポジテイブなものを出せるようになるためには、普段から習慣づけていかないと無理なんだろうな

それこそ、「10年やって、ようやく身につく」レベルのことかもしれない……





2012年8月22日水曜日

どの時点で満足するか



抗不安薬主体の薬物療法は、神経症圏、軽度の抑うつの患者さんが「当面の満足感」を得る点では、最強の治療法ではあるんだよなぁ。

抗不安薬主体での治療に比べると、他の治療法は、時間がかかったり、めんどくさかったりするから、満足度は低くなる。

だから、患者さんが、他の治療法を受け入れるにはハードルが高いだろうなぁというのは、理解はできる。



Clocks / blue2likeyou



「患者さんの視点にたって、患者さんが満足する治療を提供しましょう」というキャッチフレーズ自体は間違いではない。
ただ、「満足」の評価に時間的な観点がないと、治療自体が迷走してしまいそうだ。



2012年8月20日月曜日

精神疾患の患者さんも、身体の病気になるんだけどね


精神病院に入院している患者さんも、入院中に身体疾患が問題になってくることもある。

まぁ、精神疾患の患者さんも人間だから、身体疾患にかかるのも当然の話。
ただ、そこからの話がややこしくなる場合も、少なくない。


例えば、自分のいるような弱小(?)民間精神病院であれば、常勤の内科医すらいない。当然、身体疾患の治療に対する薬も、豊富に採用していない。

その状況で、患者さんの家族から「万が一、身体的なことで大変なことがあったら、どうしてくれるんですか? ちゃんと、治療してくれるんですか?」という要望されることもある。
さて、その時に、治療のレベルやクオリティをどこまで整備することができるか……



念のため入院することにした / omoon




精神科の治療と、身体疾患の治療を同時並行していくのなら、精神科がある総合病院という場も考えられる。されど、現実問題として、総合病院も一筋縄に話は進まない。

総合病院の精神科で、精神科病床を確保しているところは少なくなっているはず。
そうなると、入院する場所は、身体疾患の担当科の病床にならざるをえない。
結果、入院の可否を決めるのは、身体科の医師やスタッフの判断になってしまうところが多いんじゃないだろうか。

でも、現実は厳しい。

精神疾患、しかも精神病院に入院中の患者さんというだけで、有形無形のハードルは、格段に上がってしまう。


例えば、以前にある医師がツイッターで、次のような発言をしているのを見かけたことがある。
「精神科病院に入院中に○○(疾患名)になった人が、地域連携室経由で転院して、ある医師が診ている。本人は大暴れ、家族の対応も大変らしい。私が引かなくてよかったとしか言いようがない。連携室は、そんな入院をうけるな」
(原文の表現を改変していますが、大体こんな内容)

この発言をした医師って、正直なんだろうなと、私は思う。

自分も総合病院での精神科勤務歴がある。こういった内容の身体科の医師の発言は、間接的にも、直接的にも、色々と聞いてきた。
これは、紛れもなく、よくある現実でしかない




Hospital / morrissey



一昔前、「癌難民」という言葉が広まった。
これと同じような意味で、「精神疾患患者の身体的治療難民」という問題は、大きくなるばかりなんだろうなと予想できる。

この流れは、大きく変わることはないんだろうな。

患者さん、家族、関わる医療関係者、それぞれが、この現実をどのように受け入れていくかを考えていく。
それが、自分にできることの一つなんだろうね。


2012年8月10日金曜日

PDと言えば……

ちょっと呟いたら、自分のTLにしては、反応が意外に多くてビックリした。

無粋ながら、解説すると、
内科医は、「パーキンソン病 Parkinson's Disease」のつもりで話し始め、
精神科医は「パニック障害 Panic Disorder」か、「人格障害 Parsonality Disorder」を思い浮かべている。というオチ。
医療者以外には、面白さがまったくわからないつぶやき。

しかも、次のつぶやきにもあるように、医療関係者に「PD」と言ったら、想定される疾患は色々とある。


略語を使うのは便利だけれど、相手の思考するバックグラウンドを頭に入れていないと、誤解やすれ違いがでてくる。じゃあ、略語を使わずに話をするのがいいのかというと、それはそれで、効率が犠牲になりそう。

まぁ、堅くるしく考えず、少しだけ気をつけてるようにするのが、いいのかな。


お気に入りの、このつぶやきで〆ます。







2012年8月8日水曜日

○○にいちばん似合う職業


精神科医療に向いている人、向いていない人って、わりとはっきりしている。
それは、学業的な成績の良し悪しとは、まったく関係していない。これは、医者にかぎらず、看護とか、コメディカルとかでも当てはまる。
自分は、そう信じている。


頭が切れて、そつなく仕事もこなすんだけれど、精神科医療のスタッフとしてはどこかピントがズレているベテラン。総合病院なんかでは、わりとそういう人がいる。というか、身体科で経験を積んで、ベテランになってから精神科に配属されたというパターンのほうが多いかな。
一方で、精神科的な対応に光るものがあるけれど、技術的には未熟な新人も、時々精神科に配属されてくることがある。
で、めぐり合わせが悪いと、件のベテランが、その新人を潰そうとしたり、潰したりする。
あれは、嫌なものだった。






「多様な価値観があることを認められるか、どうか」が、精神科に向いているかどうか判断するポイントの一つかな、自分の場合。
何か、上手く言えないけれど。


精神科以外の分野でも、仕事をする上での向き、不向きって、経験者から判断される場合って多いはず。
それって、どういった基準で判断しているんだろうか。ちょっと気になる。