2012年6月14日木曜日

まだあわてるような時間じゃない


精神科治療の中で、欠かすことができない存在の一つに、「保護室」があります。

「保護室」がどんなところか、わからない人は、下記リンクを参考に。(精神病院のホームページです。探せば、保護室の写真があります)
http://www.amrf-kohnan.or.jp/institution/
http://www.seishinkai-kokoro.jp/kokoro/index.html

大雑把に言えば、保護室は症状が悪い患者さんに対応するための病室。

患者さんの治療では、保護室から精神科一般の病室になるべく早く移せるようにすることが一つの目標になります。




最近、看護スタッフの方から「もうそろそろ、患者さんを保護室からだしていこうと思いますが、どうですか?」という要望があった。

今回は、それにストップをかけました。
ちなみに、その時の自分の脳内イメージは、スラブダンクの仙道のアレw






その患者さんは、10年以上未治療だった統合失調症の患者さん
家族に連れてこられた時は、興奮したり、行動がまとまらなかったりしたので、当然保護室を使った治療になります。
薬もなかなか飲んでくれなくて、看護スタッフも苦労していたのも知っています。

その甲斐あって、徐々に改善の兆しも見えてきた。
暴れなくなったし、薬を嫌がることも稀になってきた。
だから、保護室から出して開放的な対応にしようという、看護スタッフの気持ちは、健全で、よく理解できます

でも、まだ、だめなんだ。あわてて保護室から出すようなタイミングじゃない。

最初の状態が悪かっただけに、今の状態は本当に良くなっているように感じられます。

ただ、もう少しよく診て欲しい。

会話もできるようになっているけれど、キャッチボールは、数回しか続かない。
ちょっと続いた後のボールは、胸元から外れたところに飛んできがち。
時々、投げかたが分からなくなってしまう時もある。
なによりも、自分から保護室を出たいと思っているような様子が見られない。
こういった状態では、まだ周囲からの刺激は、患者さんにとって強すぎるはず
これが、私の判断です。



「保護室」は、暴れる患者さんから周囲を守るためのものではないんです。

保護室の目的は、「患者さんを、周囲の刺激から『保護する』ための環境を作ること」です。
その意味を考えて欲しい。

「暴れなくなったから、保護室から出さないと」という考え方は、治療の筋が悪いと思ってます。
さすがに、看護スタッフには、そこまでは言ってません。

もし、自分が指導している研修医が同じようなことをしようとしたら、「それは、筋が悪い。中井久夫の本を何回も読み直せ!」くらいは言ってたもしれませんが……






2012年6月9日土曜日

実は、自分ルールだったりする


Twitterを見ていたら、

というつぶやきがあった。



anguish? / CB and GK



自分の場合、「表情が固い」、「表情変化が乏しい」ともに、カルテによく記載している。

ただ、このあたりの使い分けは、自分ルールになってしまっている

この場合だと、
様々な理由で(病的な)緊張状態が強い時に「固い」。
陰性症状が目立ち、平板な感情表出だと「変化が乏しい」と記載しているかな。




Worried / mbtphoto (away a lot)


なんで、自分ルールになっているのかというと、精神科医になった時から、こういった精神症状や評価のカルテ記載について、ほとんど指導らしい指導がされなかったから。

自分が所属した医局には、こういった精神病理というか、精神科診断学的なものについて、専門的(?)にやっている人がいなかった。
ということで、カルテ記載についても、細かな指導が入ることもなかったんだよね。

さすがに、記載の少ない手抜きカルテだと、叱責はあったけど。



こう考えてみると、やっぱり、精神症状や患者さんの状態評価に対する客観的な評価方法が乏しいのが、精神科臨床のある種の危うさを生み出している原因の一つだよね。

かといって、操作的診断基準が、それを補いきれるものでもない。

困ったものだと思いながらも、日々の仕事をやらざるをえないんだよなあ。


2012年6月7日木曜日

DVD鑑賞「チェンジリング」 : 最後に残ったのは……

「チェンジリング」をDVDで視聴終了。





クリント・イーストウッド監督作品は、「ミスティック・リバー」に続いて、2作品目。

重厚な作品だなぁと、ただただ感心。

感想なんて、簡単に書けない。



これは、「パンドラの箱」の話、なんだと理解。


「パンドラの箱」の話には、いろいろな解釈がある。
この映画も、おなじように様々な解釈ができる。

どれが正解というわけではない。

どの解釈が当てはまるか。
それは、見る人それぞれの心のなかにある「パンドラの箱」次第なんだろうな


「パンドラの箱」の解釈は、wikipediaのリンク先を参考に……

パンドーラー - Wikipedia

2012年6月5日火曜日

「現実的」か、「突き抜ける」か


病気や治療について、患者さんや家族の人へ説明する時の話。
これには、二つの種類があるんじゃなかろうか。



説明中 / chiaki0808


一つは、現実的な話
病気のことについて、教科書通りの内容の説明。治療についてのエビデンスについての話。
こういうのは、すごく現実的だ。

もう一つは、ちょっと突拍子のない突き抜けた話
後で思い出してみると、嘘ではないけれど、正しくもないような話。「なんじゃ、そりゃ!」って、突っ込まれそうな屁理屈に近い喩え話とか。

突き抜けた話は、事前の準備していないことも多い。
切羽詰まった状態から、「苦し紛れに」放った一言が、少なくない。
場合によったら、相手から「あの時、○○と言ってくれたことを覚えています」と言われても、当の本人が覚えていなくて、心の中で焦ってたりして。


現実的な話は、誰からも後ろ指を指されないんだけれど、相手には思った以上に伝わっていないことが多い

突き抜けた話は、時として大きな力を持っている。時には、患者さんの治療態度を変えたり、家族の気持ちの拠り所になっていたり。



Warriors! / Yv.



突き抜けた話の力の源は、「気持ち」だと思ってる。「ここで、精神論なのか?」と、突っ込まれそうだけどw
もちろん、突き抜けた話だけでは、患者さん達との話は成立しない。
現実的な面白くない行為や言動が積み重ねられた土台がないと、「気持ち」は十分な力を発揮できない。
土台の積み重ね方とか、「気持ちの載せ方」とか、これには、いろんな要素がある。だから、バランス感覚も大切。
意識的にバランスが取れるようになるのは、難しい。意識的に出来るのは、一握りの名人だけかもしれない。


基本は、妙な色気を出そうとせずに、手堅いアプローチを積み重ねることなんだろうね。きっと