2012年1月25日水曜日

泣ける話を育てる



泣ける話の育て方って、難しい。



例えば、落語の人情噺の代表格「芝浜」。

空気が読めない、醒めきった精神科医なら「アルコール依存症の人がスリップする話。奥さんも頑張ってたけれど、油断しちゃったねぇ。また、一からやり直し、仕方ないね」って言ってしまいそうだ。

アルコール依存症のスリップの話を分解、それぞれの要素を検討して、良さげに思うところを磨く
そんな過程を経て、「芝浜」は人情噺として仕上がったのかもしれない。

そのポイントの選び方、磨き方で、同じものでも仕上がりがぜんぜん違ってくる。


桂三木助の「芝浜」と、立川談志の「芝浜」。

この二つは、同じ「芝浜」でも、心に響かせてくるやり方が違う別の話。

噺家と客の相互作用で磨き上げられて、残っていたものが、古典落語の噺。
古典と呼ばれるだけの良さは、人情噺だけでなく、それぞれの噺にある。



朝焼け / k14

今の時代、ネットで出てくる泣ける話が、磨き上げられるような仕組みができるのかしらん。
そういう場ができたら、楽しみなんだけどな。

この記事「ゲーセン少女」が人を激昂させる理由を見ながら、そんなことを考えてた。


2012年1月16日月曜日

twitterの仮まとめ 「点数をつけることで鍛えたい」



いつもDVDを視聴した後は、Twitterでタイトルをつぶやくようにしている。
2012年になってからは、そのつぶやき中で映画の点数をつけるようにしている。
点数をつけるのは、何か気恥ずかしいので、辞めたくなる時もあるんだけどね。
とりあえず、今年は続けていこうかなぁと。

理由は二つある。

一つは、点数をつけることで、自分の主観というものを公に出していく練習になると思ったから。
自分の場合、深い映画の読み解き方も知らないし、最新作をup to dateで追いかけているわけでもない。だから、ネット上で公にするのは、ほんと恥ずかしいんだけどね。
自意識過剰だけど、自分の内面をさらけ出すような気がしてw
でも、自分を主張する訓練は、これからも大切な事じゃないのかと思ってる



もう一つは、何かに対する評価の幅を広げたいという気持ちが出てきたということ。
最近のTwitterは好きか嫌いかといった評価が、極端になりすぎてる。
そんなつぶやきばかりのタイムラインを見ていると、何だか疲れる。
それに、自分の評価のしかたも、タイムラインの色と同じように染まってしまいそうな不安も出てきた。
0点か、100点という評価のしかたは、わかりやすくて、乗っかりやすい。
でも、それじゃあ、面白みが無い。
日和見主義と言うか、事なかれ主義になりそうなところもあるけれど、評価の多様性というのは鍛えておきたい。そういうことだ。

ということで、映画の点数をつけたつぶやきは、無理矢理でも続けて行く予定。

でも、今見なおしてみたら、まだまだ点数の付け方が、吹っ切れてませんねw 
まぁ、ボチボチとやっていこうと思います。



Cine Saison Shibuya / Dick Thomas Johnson

2012年1月13日金曜日

twitterの仮まとめ 「ガードの固い相手への戦略」


抑うつの患者さんに対して、「労る」というアプローチを試みることがある。
ただ相手によっては、それがなかなかに難しい時も。

例えるなら、柔道の試合で、ガードが固くて、襟を掴むどころか、まともに組んでさえもらえない相手と試合をしているような感覚。


IMG_2822 / Tony Tseng


そんな場合は、二つのことを気をつける。

一つは、焦らないこと
その時の診察だけで結果を出そうとしないで、次回の診察に勝負を持ち越すような方針に変更する。
まったく相手にしないのは、戦う意志がないとみなされることになりかねない。
だから、軽い手数だけは出しておく。

もう一つは、ガードを崩す技を仕掛けておく
具体的に言えば、とにかく睡眠をとらせるような処方をする。
睡眠をとらせるだけで、心のガードを緩めることには有効。
だから、(軽い)鎮静・睡眠優先の処方にする。
抑うつだからといって、抗うつ薬を慌てて使わない。

こういった戦略(?)で対応したほうが、比較的無難な形で治療が進むような気がする。


とはいっても、思うほど上手くいかないこともあるので、もう少し改良する余地があるはず。
ということで、現在のところではまだまだ模索中なのです。

2012年1月12日木曜日

自分自身の「覚悟」

統合失調症の患者さんや家族に対しての病名告知について、いろいろと考えてました。
今の自分の認識以上に、複雑な問題なんだなぁということが、改めてわかりました。
というか、あまり考えなさすぎ>自分



ということで、今回は2x2マトリックスを使って、思考を整理してみることに。
マトリックスを使うからには、二つの軸について、簡単に説明します。

一つの軸は、「厳格」vs「あいまい」という「診断基準」
「厳格」は、DSM、ICDなどの国際的診断基準のようなしっかりしたものというイメージ。
「あいまい」は、「抑うつ状態」とか「幻覚妄想状態」くらいの病名のイメージ。神田橋先生がよく使う「キャッチフレーズ」も、こっちの仲間。


もう一つの軸は、「狭い」vs「広い」という「関係性」。患者さんとそれ以外の人との関係性と考えてもらったらいいかも。
「狭い」というのは、患者さんと主治医との一対一の関係みたいな狭さ。「抱え込み」と言ってもいいかも。
「広い」というのは、患者さんと医療チーム。患者さんと社会。といった、治療関係が広がっていく状態。

本当は、Z軸に「時間」という要素も加えて考えたいけれど、今回は割愛。

図にすると、こんな感じ。



以前(?)の治療は、図でいえば「C」の領域で行われることが多かったはず。
その治療の立ち位置から、病名告知が行われていた。

時が経つにつれて、治療方法や社会の要請とか、いろいろなものが変わっちゃった。
当然、治療の立ち位置も「A」の領域にシフトしていってる。
立ち位置が変わってきたから、当然病名告知の内容や方法も、今までのそれと変わらざるを得なくなってきているんだよね。
一般論的には、こんなふうに思ってます。


じゃあ、一般論じゃなくて、自分自身がどうするか

その時に、忘れてはいけないことがある。
それは、今目の前にいる患者さんのこと。その患者さんの治療が、どこの立ち位置で行われているか、それを意識すること。
それぞれの患者さんで、立ち位置を変えてもいいと思っている。
むしろ、患者さんに合わせた立ち位置を設定するところに、治療の面白さがあるんじゃないかと思っている。

面白いけれど、でも、「覚悟」は要るんじゃないかな。

「覚悟」を意識しない時は、治療に対して考えかたが足りないはず

「覚悟」がない治療は、「乱暴な治療」になる。

「覚悟」がなければ、病名告知に関して「乱暴な告知主義」と同じく「乱暴な非告知主義」という行為がある。

自分が、それをしてしまうのは嫌だなぁと思う。

だから、今回これを書いたのも、自分の「覚悟」の確認のためなんです。申し訳ない。



追記:
このブログを書くにあたっては、psykomaのFacebookページの記事などでのにコメントをかなり利用しています。
問題があれば、ブログ記事の削除も視野に入れて検討します。
お手数をおかけしますが、Facebookページの方にコメントいただけないでしょうか。よろしくお願いします。

2012年1月11日水曜日

twitterの仮まとめ 「退院を決めるのは誰?」


入院患者さんが退院の時期について、質問してくる。
「あと、どれくらいで退院できますか? 2週間くらいですか? 1ヶ月くらいですか?」
という感じで聞かれることが多い。




「具体的な期間については、きちんと決めてないよ。あなたと先生、それと家族。みんなで相談して、いつ退院するかを決めていきます」
みたいな感じで、答えることが多い。

入院してもらう時や、入院してから数日の段階で、入院期間の目安の話は出てくることが多い。そんなやり取りは、大体カルテにも書くようにしている。


こういうところをできたら、スタッフにも読んでおいて欲しいなぁ。

「退院を決めるのは先生だから、後で先生に聞いてください」って答えられた後は、その度に軌道修正しないといけないんだよね。
その手間が、大分無駄のような気がするんだ。



カレンダー / yto

2012年1月4日水曜日

twitterの仮まとめ 「床屋の満足」になっているのかしらん?


ここ最近、悩んでいること。
侵襲(?)の少ない薬物療法を、症状がそこそこ悪かった患者さんに対して選択していた。
その甲斐あって、それなりに症状は改善してきている。
でも、病患や病識を持ってもらうことが、なんだか難しい……


どうしたら、いいものやら。


アルコール依存症では、「底つき体験」をしたところが、ひとつのチャンスである。なんてことをよくいうけれど。
患者さんの全てに、「底つき体験」をさせるわけにもいかんしなぁ。
そもそも、「底つき体験」をしたから、かならずしも治療がうまくいくとは限らないし……

治療に、欲をかきすぎているのかなぁ。
medtoolz先生が、以前言っていた「床屋の満足」の話を思いださずにはいられない。


(ちなみに、「床屋の満足」のことが書かれているmedtoolz先生の日記は、こちらから。 前半部で触れられてます)


Barber / dave416