2012年12月27日木曜日

説明の上手い薬剤師の人知りませんか?


Twitterのタイムラインを見ていて、ふと目に止まったつぶやき。



これの逆パターンも、興味がある。
「ここは、素人がこだわりがちだけど、適当にしても問題ない」と、常々プロが思っているポイントってあると思う。

自分の分野での例え話をすれば、
「先生が、朝食後に処方していたお薬、昼ごはんを食べた後に飲み忘れに気がついたんです。しかたなく、飲むのをとばしました」なんて、エ○リ○ァイを机の上に出されたりして。
こっちとしては、「いやいや、その薬なら、多少飲み遅れてもいいから、飲んでいて欲しかった」と思わざるをえない。





Prescription drugs and the elderley / University of Salford




こういった失敗を回避しようとすると、「薬の飲み方のポイントを丁寧に説明する」というありきたりな解答に落ち着いてしまうんだけれど。じゃあ、「ポイントを丁寧にって何?」って、考えると、これも難しい。


よっぽどシンプルな処方でない限り、複数の薬をのむ場合が多いから、そこには、”こだわる”飲み方と、”適当でもいい”飲み方の説明が交じり合ってしまう。
そこで、上手く薬を飲めるようになる説明をしようと思うと、とても煩雑なものになってしまう。

そうなると、丁寧な説明は、薬剤師の領分として、調剤薬局の現場でお任せしたいのが、正直なところ。

ただ、個人的な問題なんだけれど、この二つの問題をバランスよく説明できる薬剤師の人って、あんまり知らないんだよね。

何処かにいるのかしらん。





Pill box / Dvortygirl



2012年12月18日火曜日

まだ、紙のノートに手書きは必要だと思う


本当にシャープの目の付け所は、何処にいってしまったんだろうかと思う記事。

シャープ、1,000ページ保存できる手書き電子ノート - PC Watch:

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1万5千円出して、これを買う人っているのかしらん。どこに需要があるのか、しばらく考えたけれど、思い浮かばなかった。




物心がついてから、嫌、それ以前から、タブレットで入力することが当たり前の経験をした世代が出てくるまで、電子ノートは主流になりにくいと思う。
教育機関で強要すれば、無理やり主流にできないことはない。でも、その場合、思考の効率や質は劣化してしまうようで恐い。




認知行動療法っぽいことを、時々している。その時には、自分自身の行動記録とか、考えたりしたことを記録するように指導する。
で、その時には、ノートや手帳に手書きで記録するように説明する

手書きしてもらうことの目的は、思考のスピードをむりやり落とすことにある
暴走しがちな思考のスピードを落とすことで、自分の思考を認識してコントロールしやすくなる
これが肝。



Write / tosaytheleast




一方で、芯から身についていない手段(キーボード、フリック入力、タブレットに指で書く等)を使うと、エネルギーを取られ過ぎて、今度は思考の内容が薄くなってしまいそう。

自分は、キーボード入力でも十分考えることができると言う人は、少なくない。それは、それだけキーボードを使うことに時間をかけて、習熟しているから。
でも、IMEを違うものに替えるだけで、思考の内容も変わってくるはず。
そんなことを考えると、やっぱり不安定な手段じゃないかと思えてくる。



最初に学習を始めた時に、鉛筆上のもので、紙に何かを書くやりかたで始めたという事実は、やっぱり無視したらダメなんだと思う



壁にクレヨンで落書き!(2012/4/29) / yto





2012年12月10日月曜日

現実的な説明とは……

日本ハム“計算ずく”の戦略…最初に示した資料が決め手に (スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース:

'via Blog this'

上のリンク記事からの引用

大谷の決心を最初に揺るがしたのが、11月10日の入団交渉で球団が大谷側に示した資料。「大谷翔平君 夢への道しるべ 日本スポーツにおける若年期海外進出の考察」と題した冊子はA4判25ページと別紙5枚にも及んだ。
引用終わり(文字の強調は、ブログ主がしました)


この資料、公開してくれないだろうか。できないだろうな。公にしにくいこと書いていそうだし。

日ハムも、大谷選手だから、ここまでの労力を割いたんだろうけどね。
他の指名された選手が、これを見たら、どう思うんだろうか。差別感みたいなの感じるんだろうかしらん?
ただ、実力ありきの世界だから、その点では納得しやすいのかも。


で、医療の中でも、患者さんへの疾患や治療についての説明をするのは、日常的なこと
時には、「説得」という色合いの強い説明をしなければならないこともある。

説明する時には、ある程度書式みたいなものがある場合もあるし、ホワイトボードなんかを使って適宜、即興的に説明をしていく場合もある。
いわゆるプレゼンのような資料作りをして望むことは、なかなかできないことも多いのでは

もちろん、資料作りにある程度労力をかけることができると、一定の効果は期待できそう
ただ、資料を作るかどうかを含めて、その作業に、どれだけの労力を使うかの判断が難しい。





診断から、治療法の選択、予後の予測まで、A4で30枚近くのプレゼン資料作って説明できたら、それは"あらゆる意味"で最強のムンテラになりそう

ただし、労力と結果のバランスが釣り合っているのかどうかという問題は残る。


そもそも、病名や治療に対する説明というのは、こちらが伝えたと思っている内容の3割も理解してくれていたら上出来という印象があるんだけどな。
どうなんだろう。


理解してもらえる比率を上げようとすると、資料を作る時に、普段の治療の考え方からかなり視点を変えて考えないと、より理解してもらうことは、難しいような気がする

それは、診断・治療技術とは、また違った技術になるだろうし……


presentation skills / o5com




2012年11月28日水曜日

どれくらいの入院期間を希望されます?


精神疾患の入院治療。入院期間は、やっぱり最低3ヶ月は必要じゃないかと思う
これくらいの時間をかけて、ようやく病状が落ち着いたり、心の中に溜まっていた膿のようなものがでてきたりしてくるような気がする。

治療結果をもう少し良いものにしようと思ったり、再燃や再発の可能性を低くして予後の良いものにしたりする。
そういった治療は、この後から、さらに数ヶ月の時間をかけて積み重ね、整えていくもののような気がする。

ただ、それだけの時間をかけていく治療は、実現が難しい。
それは、色々なところから阻害がかかってくるから。経済的な状況であったり、社会的な要請があったり、本人や家族の要望があったり……
最終的には、当事者たちが入院治療にどれだけの価値を認めるか、ということになってしまう。



日々の食事をどう考えるのか? そういったことに似ているのかも。
こだわりのある料理人が、手間隙かけて作った一品。
ファストフードで頼む、いつものセットメニュー。
どちらも、食事は食事であって、空腹を満たすことはできる。ただ、リスク、質、満足の評価は人それぞれ。
そう考えると、提供側としては、臨機応変にどんな料理でも出せるのがベストではあるけれど。

自分には、とてもそんなことはできそうにもない。



2006 September - Chef de parti - Shoot / jenschapter3

マクドナルド六本木ヒルズ店 / yto



このあたり、数年前から考え続けているけれど、未だに自分の中での結論がでない……

2012年11月12日月曜日

統計上それらしいもの






引用したつぶやきが古いのは、tumblrのダッシュボードに上がってきたのを見つけたから。

これを見た時に、「あぁ、これは精神疾患の診断についてもいえることだな」と思った。

操作的診断基準での診断の考え方って、「統計上それらしいもの」に近い考え方じゃないかなぁと。



正規曲線のもとでの割合 / yto




ATOKもイイなぁと思いながら、今のPCのIMEはGoogle IMEを使っている。
同じように、診断に対する、この考え方が間違っているとは思わない。こういった考え方は、必要な物だ。
だから、これからの医療というのは、「統計上それらしい診断」に基づいて、治療などが考えられていくはず。

そうなると、精神科治療というものは、今自分が思っているものから異質なものになってくるんだろうな。
そう、思えてしまう。

どうなっていくんだろう……


2012年11月6日火曜日

「細かくて、頭の良い説明」は、本当に伝わるのか?



病理医のヤンデル先生の、いつもの奥深いつぶやきから。


このつぶやきを自分なりに解釈したり、考えてみたり


「細かな説明」は、必ずしも「分かりやすい説明」では無い。だからといって、「簡略化した説明」が良いとは限らない



こういった説明で大切なことは、重要なポイントの抽出と、表現のセンスじゃないかな。

ただ、これは達人の技になるので、中途半端に意識すると、正しく”生兵法は怪我の元”を実践することになるから、注意が必要。そうなるくらいなら、「細かな説明」の方が無難。焦って失敗するよりは、そっちのほうがいいかな。



2010 Ethics in the Science Classroom (CURE Teachers ISCRM) / NWABR


「頭を使っていない説明」は論外として、「頭の良い説明」というのは、案外伝わらないことが多い
それは、聞く側が頭が悪いからということだけではない。

「頭の良い説明」というのは、感情的な部分も合わせていくのが難しい。感情を伴わない理解というのは、わりと頭に残らない。だから、「説明を聞いたけれど、何だか、よくわからなかった」という結果に終わることも、少なくない。

説明をする時に、感情的な部分を合わせていくことは、意識していけば可能。例えば”共感”のテクニックを使っていくとか。(”共感のテクニック”という点については、今回は話をしないけれど)
ただ、ここでも注意することがある。
感情的に一致した状態というのは、案外持続時間が短い
饒舌な説明になると、一方が冷めてしまって、感情がずれていくことも、注意しておいた方がいい。

うん、医療面接というのは、難しい。

最後に、





2012年11月1日木曜日

「生き方」は、予後を左右する?




「~してもらって、当たり前」、「(私は)絶対に悪くない」というのは、呪いの言葉なんだろうなぁ。

そして、その呪いは自分に向かってくるはずなんだけれど。




そういうことを考えていると、「生き方」というのは、精神疾患の治療予後に関係する因子のように思えてきた。


「生き方」というのは、客観的に評価できるものではないから、どうやっても、エビデンスを作ることはできない。

だから、「証明してみろ」とか、「それに見合った、正しい治療の道筋を作れ」とか言われても、「それは無理です」としか言いようがない。

でも、治療をしていく中のどこかで考えないといけないことだ。




on my way / AlicePopkorn




2012年10月24日水曜日

つぶやきは誤解されるもの


文章や言葉は、自分の意図通りには、なかなか伝わらないもの

特にTwitterのような場では、わりと誤読されるものだと思うんだけれど。



だから、つぶやく時には、誤解されないように注意を払うことも大切。

でも、絶対に誤解されないつぶやきというのも、ありえない。で、誤解されるのと同じ意味で、自分も他人のつぶやきを誤解している場合も少なくないはず。


要するに、自分や誰かの気持ちを映し出す鏡とか、依代みたいなモノとかを、みんなが無秩序に放出している恐ろしい場所、それが、Twitterという場でもあるんだよなぁ。



[ M ] Duane Michals - Heinsenberg Magic Mirror of Uncertainty I (1998) / Cea.




2012年10月17日水曜日

「否定すること」からは逃れられない





病理医のヤンデル先生のつぶやきをみて、こんな風につぶやいて答えてみた。


相手の行動を変えるということは、多少なりとも、その人の価値観を否定することになってしまう

ということは、その「否定をする」行為が相手に受け入れられやすくするように、いろいろとアプローチを考えないと、上手くいかないんだよね




実際問題、精神科での治療を考えていく上でも、これは大切




Panton Discussion 3,RG / okfn




例えば、統合失調症の患者さんの治療で考えてみる。

患者さんは病気であるという感覚に乏しい (これを病識欠如って言う)。
そういった患者さんは、病的な世界の中で長い時間をかけて、患者さんなりの価値観を創りあげている。
その価値観というのは、こちら側から見ると、一見理解し難くて、どうしようもなく、間違ったもののように思える

でも、治療する時には、この価値観の違いを扱っていくことになる。

「妄想に対しては、肯定もせず、否定もせず」という鉄則がある。
でも、どうしても患者さんの行動を変えざるを得ないから、そこには”否定する”という色合いが生まれてくる


このあたりを、どうしていくか。


こういった価値観の否定の扱い方が、精神科医療のど真ん中の場面では、色々と試される

そして、それが精神科医療の醍醐味の一つじゃないかと思っている。





こういったところも、わかってほしいなぁと思うわけだ。




2012年10月16日火曜日

どれくらい、きちんと薬を飲めばいいのか?



一日の中での服薬の回数が少ないことも、非定型抗精神病薬での利点の一つだと思っている
ただ、定型抗精神病薬の服薬回数が毎食後+眠前で無ければならないかという検証は、この場ではしないけれど。

自分の処方のクセだけれど、ある程度症状が落ち着いた統合失調症の患者さんの処方だと、OLZは当然、RISだと一日一回服用のパターンにしている。
薬の服用回数が少ないほうが、コンプライアンスなどが高くなるのは当然だから。



Anxiety Disorder / arty.


定期的な服薬をしていることで、「病気が治ったな」という感覚
これは、大切だと思う。
でも、普段の治療の場面では大きな落とし穴につながるような不安が、どうしても拭い去れない。

例えば、きちんとした服薬で、大分症状が改善した患者さん。
こういった患者さんは、多少服薬が疎かになったところで、急速に症状が悪化することは少ないと思う。
それは今まで服用してきたから、症状を改善することの貯金があるから。その貯金があるから、病状がすぐには悪化しないような印象。

でも、油断した時は、怖いなぁ。
借金と同じで、危機的な状況になった時には貯金を使い果たして、健全な状態に戻るには困難になることも少なくない。



精神疾患に寛解や治癒という状況は無いんですか? と聞かれると、答えるのはなかなか難しくて……

服薬の継続とか、投薬内容の調節というのは、本当に正解を見つけるのが難しい。というか、正解ってあるのかしらん?

2012年10月10日水曜日

愚痴るって、大切なんだけどね



正しくグチをこぼせる場の設定って、大切じゃないかな。


何も考えずにグチを口にするだけでは、言語化する効果が薄れたり、場合によっては、悪意の拡大再生産になることすら、ありそう。


Twitterで匿名アカウントにして、自分のネガティブな思いをつぶやくのも、一つのグチのこぼし方としてあるかもしれない。
でも、思わぬ反撃をもらったり、肯定されたと思っているうちに妙な心理状態に導かれたり、どう考えても、ポジティブな結果に終わらないリスクが高そう。
あんまり、お勧めはしない。


ポジティブにしろ、ネガティブにしろ、自分の思いを一度形にするのは大切なこと。「グチをこぼす」のも、そのひとつではある。

じゃぁ、どうするのかというと、善意の第三者じゃないけれど、善意を持つ存在に取り扱ってもらったりメタ視点で考えなおしたりして、グチが処理されるといいんじゃないかな。




Consultation / thekirbster




前者の場合、つまり、善意を以って、自分の思いを取り扱ってもらう場合。
これには、相手があることだから、そこを考えないといけない。
つまり、ぐちをこぼすにしても、相手が善意を引き出してくれるように考えて行動をとるのが一番効率的じゃないかな。
たとえ、それが「偽善」に思えたり、そう見えそうな気がしても。

後者の場合、つまり、自分の思いをメタ視点で考えなおす時には注意がある。
「そんなことって、たいしたことじゃないんだよ」というくらいの姿勢のほうが良さそう。
自分で自分の考え方を上手く笑ったり、バカにしたりするような感じかしらん。
これが巧くできるようになると、人生に粘りみたいなものが出てきそうな気がする

だから、自分で自分のことをネタにして笑える人間は強いと思う。



一般の人が考えるレベルでの「カウンセリング」とか、CBTとか、こういうことを考えて見なおしてみると面白いかもしれない。







2012年9月27日木曜日

古いタイプの精神科医ですが……



”抗精神病薬って、どんな作用のある薬ですか?”という問題を出したとしよう。

「抗精神病薬は”鎮静”の薬です」

この答えは、かなり多いんじゃないかと思う。
間違いじゃないけれど、合格点はあげられない。10点満点で5点かな?

”思考が散漫になるのを抑える”薬という作用が間違いなくあるからだ。

もちろん、前者のほうが強く作用しがち。
鎮静の強さは、抗精神病薬の薬としての最大の欠点でもあり、利点でもある。正に、コインの裏表。



50 Pence coin 1994 - 50th anniversary of D-Day - Normandy Landings / ell brown



でも、”鎮静”と”思考が散漫になるのを抑える”という二つの効果を認識していないと、非定型抗精神病薬を使いこなすのも、なかなかに難しいと思っている。

そのためには、ハロペリドールを使い込んだ経験があったほうが、非定型も含む抗精神病薬の使い方を理解しやすいんじゃないか、そんな気がしている。

ハロペリドールをいろいろと工夫して使った経験。つまり、
少量のハロペリドールが、精神症状に与える効果。
鎮静が必要になった時に、必要量のハロペリドールを使う。その時に、どんな鎮静がかかっていくか。

そういったものを経験した上で、非定型抗精神病薬を使った時に
鎮静の程度が、どれくらい違うのか。
抗精神病薬が精神症状そのものに、どのように効いていくか。
それを注意深く見つめる。

比較対象となるものがあれば、「効果」というものが分かりやすくなる

そういうことだ。



最近の(?)精神科医は、医師になった最初から非定型抗精神病薬での治療経験が圧倒的に多くなっているはず。そんな治療者が、薬の効果を、どういう形で見積もったり、認識したりしているんだろうか?
興味が尽きない。


古いタイプ(笑)の精神科医の自分とは、間違いなくズレがあるんだろうな。
でも、そのズレを確かめてみたい。



Wear the White Coat 2011 / Greater Louisville Medical Society




2012年9月21日金曜日

psykomaは戯れができぬアカウントよ!

さて、タイトルの元ネタが分かる人が、どれくらいいるんだろう……



自分の考え事をまとめる時には、ノートに書き出して考えることが多いんですよね。


その時には、「深く」「広く」「視点をかえる」ことを意識するようにしている、つもり。

意識していても、なかなかできないから、どうしても「つもり」になってしまう。



考え方に少し行き詰まりを感じたら、時々考えていることの一部をTwitterに投げかけたりする。

例えば、こんな感じ。


で、「視点をかえる」意味で、バカなことも書いていたりする。
例えば、こんな感じ。



そう、上の二つは、「躁状態」の治療について考えていた同じページに書き込んであるんですよね。
これだけじゃなく、他にもいろいろと書きこんではありますが。




最近は、「バカなこと」というか、「くだらないこと」というか、何といえばいいのか、人を笑わせられたり、楽しませたりするモノにできないか、そんな方向で考えている。

でもなぁ。元々、センスが無いのか、どうにもうまくいきませんね。
もともと、冗談が上手いほうじゃないので。


Twitterの裏アカウント(とはいっても、鍵なしでのアカウントなので、どこが裏なのか、良くわからない)で、ツッコミの練習(?)してます。


例えば、こんな感じ。さっきのツイートを受けてのツッコミ……

……、やっぱり面白くない  orz



追伸:
ヤンデル先生。



せっかく、こんな風に取り上げてもらったのに、恥ずかしさのあまり、「いじらないでください」と言って、申し訳ありませんでした。



これからは、いじってくださいねw

また、よろしくお願いします。





2012年9月14日金曜日

「認知行動療法的なもの」をモノにする



外来患者さんに関するメモを見ながら、いろいろと考えてた。

認知行動療法、というか、自分がやっている「認知行動療法みたいなもの」に導入していくには、どうしたらいいのかしらんと。
でも、やっぱり、何かいろいろとハードルが高い……



coffee, diary&citymap / Gipsy Art



「認知行動療法的なもの」と「薬物療法」、早い段階での効果を実感できるのは、後者のほうが多いんじゃなかろうか、多分。
「薬を使わない、素敵な治療法」って、安易に考えると、自分で自分の治り方に落とし穴を掘ることになりそう。



「認知行動療法的なやり方」の肝は、”どこまで継続することができるか”
少なくとも3ヶ月、欲を言えば6ヶ月は継続してないと、身につかないんじゃないかな。



このあたりは、正当な(?)ダイエットと一緒。
やり始めた直後に、少しだけ効果がある。この効果に満足して止めてしまうと、元の木阿弥。
効果があるのか、ないのか、迷いの時期がしばらく続く。
そして、最適化(?)した生活習慣が自然に思えるように身についてから、また効果が出たり、持続しやすくなっている。
こんな感じじゃないんだろうか。



Start diet today / Alan Cleaver


そう考えると、「認知行動療法的なもの」って、自分のモノになるまでは、他人からの目を通した長期間のメンテが必要ということか。

そう考えると、スポーツトレーナーの考え方、方法論も参考になるものがあるかも。

2012年9月12日水曜日

躁状態について、あれこれ


躁状態の場合でも、よくよく話に付き合ってみると、その裏側になんとも言えない抑うつ的な要素が見えてくることって多い。

躁状態は抑うつ状態に裏打ちされたものって考えてもいいのか、むしろ単純に「躁鬱混合状態」と考えたほうがいいのか。
自分的には、前者のスタンスで解釈することが多いんだけれど。



Ensnared In Light And Shadow / bogenfreund


こういうことを考えながら診察しているかもしれなけれど、躁状態の患者さんの診察は、面白くて好き。
気分の振れ幅の大きさに影響されて、人となりのようなものが増幅して見えてきて、患者さんのことがより理解できるように思えるから、なんだけど。
もちろん、増幅されたものだから、脳内できちんと修正しないといけないけど。


あと、躁状態のことで、気になることが一つ。

躁状態の患者さんの話は、突拍子もなかったり、過剰だったりする表現になり易い。
それを聞いていたスタッフが、「妄想状態」と解釈したりする場合がある。逆に、言葉をありのままに受け止めすぎて、妙な反応を示すことも。

言葉の表面上の表現だけで、精神症状を評価するのは難しい




精神状態を評価していくと、「全地は一の言語一の音のみなりき」の状態であれば、どんなに楽なことか。ついつい、そんなことを考えてしまう
やれやれ。




Toren van Babel_2 / Martijn Streefkerk



2012年9月5日水曜日

オレンジプランについて、ユキ@MSWさんのつぶやきまとめ



認知症早期診断可能な医療機関を500カ所に 厚労省が施策推進5か年計画公表 - SankeiBiz(サンケイビズ):

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この記事を受けて、Twitterからの抜粋。
togetterを使うのは、なぜだか抵抗があるので、こんな形にしてみました。













さて、認知症の入院期間もいろいろと論議が出ているが、果たしてどうなることやら。




Saying farewell to Nana after 88th birthday cookies / Tim & Selena Middleton


2012年9月4日火曜日

素朴かもしれないけれど、大事な疑問


TLでみかけたつぶやき


素朴な疑問かもしれないけれど、これは大事な疑問。



精神科医療に携わる人であれば、一度はこの疑問を考えぬいてみることをお勧めする


考える時に、大事なポイントがある。

それは、自分の担当している(もしくは、知っている)患者さんの問題として考えること。別に、治療抵抗性の強い患者さんに限らなくてもいい。治療がうまくいっている患者さんで考えてみても、面白いと思う。


患者さんは、

普段どんなことに困っているのか?
自分の病気の症状を、どんな風に話しているのか。
一日何回薬を飲んでいるのか。朝は、何錠、昼は何錠……
薬を飲む時には、どんなことを考えているのか、それとも何も考えていないのか?
薬を飲むと、体調に変化があるのか? それとも全くないのか?
薬が変わったことがあるのなら、調子に変化があったのか?
薬を飲んで、よかったと思えることがあるのか?
薬を飲んで、嫌なことがあるのか?

などなど



それが他の患者さんに当てはまらなくてもいい。とにかく、その患者さん個人の問題として、できるだけ具体的に考えることがコツ


きっと、臨床能力が一段階ステップアップすると思う。



step it up / followtheseinstructions



2012年9月3日月曜日

精神科医に働く”見えざる手”

下のリンクは、精神科医の”いちは”先生のブログ。

とりあえず俺と踊ろう: 『暴れる精神障害患者に鎮静剤投与は違法』 まず警察へ!!:

'via Blog this'


この内容とは、直接的には関係無いけれど、以前から気になっていることが一つ。




例え精神疾患の患者さんであっても、他の施設とか、(特に非精神科)医師が鎮静をかけた状態では、病院に搬送されても、本人の意思確認とか症状の判断ができないので、入院をさせられない。
というのが、自分の認識なんだけど、違ったかな……

特に、非精神科の医療職が、このことを分かってくれないことが多くて、電話口の対応でトラブルになったこともしばしば。



いろいろな人から聞いた話になるけれど、
地域によっては、何故か措置入院に対するハードルを高くしたり、とにかく対応に困った人は精神科に何とか入院させようとする、”見えざる手”というのも、存在するらしい。
しかも、この”見えざる手”は、診療の場や精神科医に強力に働きかけてくる一方で、絶対に責任をとってくれない。
だから、本当に厄介で困る。



精神科の入院には、大きな前提がある。
”精神保健福祉法に基づいて、患者さんに対する人権的な配慮の中で、精神科の入院は決まっていく”ということ。
このことは、一般的な(?)医療職ですら、きちんと理解できていないことが多い。


精神保健福祉法に基づく、措置入院、医療保護入院というのは、国家試験にも出てくるから、知識として覚えている医療者は少なくない。

ただ、試験のための知識レベルだから、
医療保護入院の場合、(患者)本人の同意がなくても、1名の精神保健指定医の診察により、保護者の同意により入院させることができる」
程度の知識であったり、場合によっては、強調フォントの部分しか覚えてなかったり……
(まぁ、まだ覚えているだけマシという、哀しい現実も)




Study hard / bartosz.maciejewski




精神科での入院の知識を、現実的に運用できる形で理解している人は少ない。
それが、実際の医療現場で、話がうまく進まない原因の一つになっている。

つまり、知識があっても理解していない人が多いという事実が、”見えざる手”を構成するパーツの一つになっている。


実際に運用されるところ、つまり精神科外来での入院場面に出会わないと、このあたりは理解はできないんだろうね。

うん、それは認める。実践を伴わない知識は、上手く利用できないものだ。

昔のように、実習の時しか精神科の医療現場を見たことがない医師なら、なおさらそうだと思う。


で、今の初期研修制度になって、このあたりは少しは改善されたんだろうか?
ちょっと、気になってきた。






追記:
医療保護入院の制度については、近々変更される可能性が高い。
そうなった時に、入院へのアプローチも変わってくるはず。
さて、どうなることやら

2012年8月24日金曜日

時間をかけてでも、身につけるべき習慣


自己啓発やライフハック的なもので、「感謝の気持ちが大切」というテクニックが、よく紹介されている。

でも、これって、「良い人アピール」とか「偽善ぽさ」のような印象があって、なんとなく実行するには、抵抗を感じてしまう。
感謝日記みたいなものをつけてみたりもしたけれど、三日坊主で終わることを何回繰り返したことやら……


でも、「感謝する」ことは、上手く人生を送るには、かなり重要なテクニックじゃないのかと、しばしば考えるようになってきた。

臨床の場面で、患者さんが調子を崩した時に、家族や医療サイドに対して、ポジティブな言動がでてくるか、ネガティブなものがでてくるか。
精神状態が悪いので、ネガティブな言動があっても理解できる。そもそも、そっちの方が多数派だし。


当たり前かもしれないけれど、ポジティブな言動ができる人は、なんとなく、今後の治療が良いものになりそうな気持ちに、こちらもなってくるし。

うん、やっぱり、「感謝」の有る無しって、予後みたいなものを大きく左右してしまいそうだな。


words / palavras / lilivanili



とっさの場面や困った時、人間からでてくる言動は、身体や考え方に染み付いたものが基になる。

ということは、窮地にポジテイブなものを出せるようになるためには、普段から習慣づけていかないと無理なんだろうな

それこそ、「10年やって、ようやく身につく」レベルのことかもしれない……





2012年8月22日水曜日

どの時点で満足するか



抗不安薬主体の薬物療法は、神経症圏、軽度の抑うつの患者さんが「当面の満足感」を得る点では、最強の治療法ではあるんだよなぁ。

抗不安薬主体での治療に比べると、他の治療法は、時間がかかったり、めんどくさかったりするから、満足度は低くなる。

だから、患者さんが、他の治療法を受け入れるにはハードルが高いだろうなぁというのは、理解はできる。



Clocks / blue2likeyou



「患者さんの視点にたって、患者さんが満足する治療を提供しましょう」というキャッチフレーズ自体は間違いではない。
ただ、「満足」の評価に時間的な観点がないと、治療自体が迷走してしまいそうだ。



2012年8月20日月曜日

精神疾患の患者さんも、身体の病気になるんだけどね


精神病院に入院している患者さんも、入院中に身体疾患が問題になってくることもある。

まぁ、精神疾患の患者さんも人間だから、身体疾患にかかるのも当然の話。
ただ、そこからの話がややこしくなる場合も、少なくない。


例えば、自分のいるような弱小(?)民間精神病院であれば、常勤の内科医すらいない。当然、身体疾患の治療に対する薬も、豊富に採用していない。

その状況で、患者さんの家族から「万が一、身体的なことで大変なことがあったら、どうしてくれるんですか? ちゃんと、治療してくれるんですか?」という要望されることもある。
さて、その時に、治療のレベルやクオリティをどこまで整備することができるか……



念のため入院することにした / omoon




精神科の治療と、身体疾患の治療を同時並行していくのなら、精神科がある総合病院という場も考えられる。されど、現実問題として、総合病院も一筋縄に話は進まない。

総合病院の精神科で、精神科病床を確保しているところは少なくなっているはず。
そうなると、入院する場所は、身体疾患の担当科の病床にならざるをえない。
結果、入院の可否を決めるのは、身体科の医師やスタッフの判断になってしまうところが多いんじゃないだろうか。

でも、現実は厳しい。

精神疾患、しかも精神病院に入院中の患者さんというだけで、有形無形のハードルは、格段に上がってしまう。


例えば、以前にある医師がツイッターで、次のような発言をしているのを見かけたことがある。
「精神科病院に入院中に○○(疾患名)になった人が、地域連携室経由で転院して、ある医師が診ている。本人は大暴れ、家族の対応も大変らしい。私が引かなくてよかったとしか言いようがない。連携室は、そんな入院をうけるな」
(原文の表現を改変していますが、大体こんな内容)

この発言をした医師って、正直なんだろうなと、私は思う。

自分も総合病院での精神科勤務歴がある。こういった内容の身体科の医師の発言は、間接的にも、直接的にも、色々と聞いてきた。
これは、紛れもなく、よくある現実でしかない




Hospital / morrissey



一昔前、「癌難民」という言葉が広まった。
これと同じような意味で、「精神疾患患者の身体的治療難民」という問題は、大きくなるばかりなんだろうなと予想できる。

この流れは、大きく変わることはないんだろうな。

患者さん、家族、関わる医療関係者、それぞれが、この現実をどのように受け入れていくかを考えていく。
それが、自分にできることの一つなんだろうね。


2012年8月10日金曜日

PDと言えば……

ちょっと呟いたら、自分のTLにしては、反応が意外に多くてビックリした。

無粋ながら、解説すると、
内科医は、「パーキンソン病 Parkinson's Disease」のつもりで話し始め、
精神科医は「パニック障害 Panic Disorder」か、「人格障害 Parsonality Disorder」を思い浮かべている。というオチ。
医療者以外には、面白さがまったくわからないつぶやき。

しかも、次のつぶやきにもあるように、医療関係者に「PD」と言ったら、想定される疾患は色々とある。


略語を使うのは便利だけれど、相手の思考するバックグラウンドを頭に入れていないと、誤解やすれ違いがでてくる。じゃあ、略語を使わずに話をするのがいいのかというと、それはそれで、効率が犠牲になりそう。

まぁ、堅くるしく考えず、少しだけ気をつけてるようにするのが、いいのかな。


お気に入りの、このつぶやきで〆ます。







2012年8月8日水曜日

○○にいちばん似合う職業


精神科医療に向いている人、向いていない人って、わりとはっきりしている。
それは、学業的な成績の良し悪しとは、まったく関係していない。これは、医者にかぎらず、看護とか、コメディカルとかでも当てはまる。
自分は、そう信じている。


頭が切れて、そつなく仕事もこなすんだけれど、精神科医療のスタッフとしてはどこかピントがズレているベテラン。総合病院なんかでは、わりとそういう人がいる。というか、身体科で経験を積んで、ベテランになってから精神科に配属されたというパターンのほうが多いかな。
一方で、精神科的な対応に光るものがあるけれど、技術的には未熟な新人も、時々精神科に配属されてくることがある。
で、めぐり合わせが悪いと、件のベテランが、その新人を潰そうとしたり、潰したりする。
あれは、嫌なものだった。






「多様な価値観があることを認められるか、どうか」が、精神科に向いているかどうか判断するポイントの一つかな、自分の場合。
何か、上手く言えないけれど。


精神科以外の分野でも、仕事をする上での向き、不向きって、経験者から判断される場合って多いはず。
それって、どういった基準で判断しているんだろうか。ちょっと気になる。




2012年7月18日水曜日

間違った考え方なのかなぁ……


どんな所でも、どんな時にでも、「自分の病気が”治る”最高の治療が与えられる」という思いは、希望なのか、願望なのか、妄想なのか……



普段の診療場面でも、治療方針や内容については、それなりに説明をさせてもらっているつもり。

それでも尚、「私は、先生のやり方ではなくて、こういったやり方でやりたいんです」という姿勢の患者さんもいます。
こういう「すれ違い」が起こってくる場合には、転院などお勧めすることが多い。



Jim and Allison / mikecogh


「すれ違い」の解決には、思ったよりも、時間と手間が必要になるんだよね。
それだけのコストをかけることが、どんな時にもできるかどうか……

転院を勧めるという手段は、治療的には下手なやり方。それくらいは、わかっている。

医者は、目の前の患者さんの主治医であると同時に、他の患者さんの主治医でもある。だから、全体的なコストのバランスを、ついつい考えてしまう。

こういった考え方も、間違っているのかなぁ。

やれやれ。

2012年7月12日木曜日

「軽躁状態」って何だろう


双極性感情障害の概念が広がる過程で、「軽躁状態」が注目された。そして、過剰評価気味になっている。

そんな中で、最近みんなが、「軽躁状態」と評価しているものが、なんとなく気色悪い





”躁状態には、まず感情に対する評価があるべき。”というのは、原則論すぎるのかしらん。
感情面に注目して、『生気感情の亢進』『気分爽快』があって、始めて「躁状態」って言えるんじゃないかしらん。
こういった視点が、最近おざなりに扱われているような気がする。




Happy / John-Morgan



「軽躁状態」というからには、躁状態と同じように、多少なりとも感情の障害が伴っているはずだと考えるのはおかしいのかな?
双極性障害の症例の話をみていると、どうにもひっかかる。
「軽躁状態」と評価している時の、感情面の記述がどうにもあやふやな気がしてならない。

つまり、双極性感情障害の「(軽)躁状態」と評価しているものは、本当に”躁”なのかと、疑念を持たずにはいられない。



”双極性感情障害”という疾患の立ち位置自体を考え直さないといけない。
そんな気持ちにさえなってくる。


自分のこのモヤモヤした感じというのは、すぐには結論が出てこないことのようだ。

じゃあ、どうしようか。

結局、自分がしっかりと体感できる目の前の患者さんを診ていくしかなさそうだ
その中で、自分なりの考え方を成熟させる。それが、まず大事。

時間が経てば、いろいろな意見が集まってくるはず。
それらがまとめられた結果が、世に出てくるはず。

それと、自分の中の考えを照らしあわせていく。それができたら、自分は次のステップに進むことができるんだろうなぁ。





Record Shelves / FourthFloor


2012年6月14日木曜日

まだあわてるような時間じゃない


精神科治療の中で、欠かすことができない存在の一つに、「保護室」があります。

「保護室」がどんなところか、わからない人は、下記リンクを参考に。(精神病院のホームページです。探せば、保護室の写真があります)
http://www.amrf-kohnan.or.jp/institution/
http://www.seishinkai-kokoro.jp/kokoro/index.html

大雑把に言えば、保護室は症状が悪い患者さんに対応するための病室。

患者さんの治療では、保護室から精神科一般の病室になるべく早く移せるようにすることが一つの目標になります。




最近、看護スタッフの方から「もうそろそろ、患者さんを保護室からだしていこうと思いますが、どうですか?」という要望があった。

今回は、それにストップをかけました。
ちなみに、その時の自分の脳内イメージは、スラブダンクの仙道のアレw






その患者さんは、10年以上未治療だった統合失調症の患者さん
家族に連れてこられた時は、興奮したり、行動がまとまらなかったりしたので、当然保護室を使った治療になります。
薬もなかなか飲んでくれなくて、看護スタッフも苦労していたのも知っています。

その甲斐あって、徐々に改善の兆しも見えてきた。
暴れなくなったし、薬を嫌がることも稀になってきた。
だから、保護室から出して開放的な対応にしようという、看護スタッフの気持ちは、健全で、よく理解できます

でも、まだ、だめなんだ。あわてて保護室から出すようなタイミングじゃない。

最初の状態が悪かっただけに、今の状態は本当に良くなっているように感じられます。

ただ、もう少しよく診て欲しい。

会話もできるようになっているけれど、キャッチボールは、数回しか続かない。
ちょっと続いた後のボールは、胸元から外れたところに飛んできがち。
時々、投げかたが分からなくなってしまう時もある。
なによりも、自分から保護室を出たいと思っているような様子が見られない。
こういった状態では、まだ周囲からの刺激は、患者さんにとって強すぎるはず
これが、私の判断です。



「保護室」は、暴れる患者さんから周囲を守るためのものではないんです。

保護室の目的は、「患者さんを、周囲の刺激から『保護する』ための環境を作ること」です。
その意味を考えて欲しい。

「暴れなくなったから、保護室から出さないと」という考え方は、治療の筋が悪いと思ってます。
さすがに、看護スタッフには、そこまでは言ってません。

もし、自分が指導している研修医が同じようなことをしようとしたら、「それは、筋が悪い。中井久夫の本を何回も読み直せ!」くらいは言ってたもしれませんが……






2012年6月9日土曜日

実は、自分ルールだったりする


Twitterを見ていたら、

というつぶやきがあった。



anguish? / CB and GK



自分の場合、「表情が固い」、「表情変化が乏しい」ともに、カルテによく記載している。

ただ、このあたりの使い分けは、自分ルールになってしまっている

この場合だと、
様々な理由で(病的な)緊張状態が強い時に「固い」。
陰性症状が目立ち、平板な感情表出だと「変化が乏しい」と記載しているかな。




Worried / mbtphoto (away a lot)


なんで、自分ルールになっているのかというと、精神科医になった時から、こういった精神症状や評価のカルテ記載について、ほとんど指導らしい指導がされなかったから。

自分が所属した医局には、こういった精神病理というか、精神科診断学的なものについて、専門的(?)にやっている人がいなかった。
ということで、カルテ記載についても、細かな指導が入ることもなかったんだよね。

さすがに、記載の少ない手抜きカルテだと、叱責はあったけど。



こう考えてみると、やっぱり、精神症状や患者さんの状態評価に対する客観的な評価方法が乏しいのが、精神科臨床のある種の危うさを生み出している原因の一つだよね。

かといって、操作的診断基準が、それを補いきれるものでもない。

困ったものだと思いながらも、日々の仕事をやらざるをえないんだよなあ。


2012年6月7日木曜日

DVD鑑賞「チェンジリング」 : 最後に残ったのは……

「チェンジリング」をDVDで視聴終了。





クリント・イーストウッド監督作品は、「ミスティック・リバー」に続いて、2作品目。

重厚な作品だなぁと、ただただ感心。

感想なんて、簡単に書けない。



これは、「パンドラの箱」の話、なんだと理解。


「パンドラの箱」の話には、いろいろな解釈がある。
この映画も、おなじように様々な解釈ができる。

どれが正解というわけではない。

どの解釈が当てはまるか。
それは、見る人それぞれの心のなかにある「パンドラの箱」次第なんだろうな


「パンドラの箱」の解釈は、wikipediaのリンク先を参考に……

パンドーラー - Wikipedia

2012年6月5日火曜日

「現実的」か、「突き抜ける」か


病気や治療について、患者さんや家族の人へ説明する時の話。
これには、二つの種類があるんじゃなかろうか。



説明中 / chiaki0808


一つは、現実的な話
病気のことについて、教科書通りの内容の説明。治療についてのエビデンスについての話。
こういうのは、すごく現実的だ。

もう一つは、ちょっと突拍子のない突き抜けた話
後で思い出してみると、嘘ではないけれど、正しくもないような話。「なんじゃ、そりゃ!」って、突っ込まれそうな屁理屈に近い喩え話とか。

突き抜けた話は、事前の準備していないことも多い。
切羽詰まった状態から、「苦し紛れに」放った一言が、少なくない。
場合によったら、相手から「あの時、○○と言ってくれたことを覚えています」と言われても、当の本人が覚えていなくて、心の中で焦ってたりして。


現実的な話は、誰からも後ろ指を指されないんだけれど、相手には思った以上に伝わっていないことが多い

突き抜けた話は、時として大きな力を持っている。時には、患者さんの治療態度を変えたり、家族の気持ちの拠り所になっていたり。



Warriors! / Yv.



突き抜けた話の力の源は、「気持ち」だと思ってる。「ここで、精神論なのか?」と、突っ込まれそうだけどw
もちろん、突き抜けた話だけでは、患者さん達との話は成立しない。
現実的な面白くない行為や言動が積み重ねられた土台がないと、「気持ち」は十分な力を発揮できない。
土台の積み重ね方とか、「気持ちの載せ方」とか、これには、いろんな要素がある。だから、バランス感覚も大切。
意識的にバランスが取れるようになるのは、難しい。意識的に出来るのは、一握りの名人だけかもしれない。


基本は、妙な色気を出そうとせずに、手堅いアプローチを積み重ねることなんだろうね。きっと


2012年5月31日木曜日

治療は、「約束」でもあるんだよなぁ




という、斎藤環先生のつぶやきを読んで……



青木先生の「がっかり療法」のようなスタンスで対応は、今までに何度かやったことがあるつもり。

このスタンスでの患者さんとのやりとりは、やりがいを感じることが多いかな。

一方で、患者さんの家族からのプレッシャー(?)は、かなりストレスを感じる印象が……

どうしても、家族は「早く、良くなって欲しくて」、治療者にも、「それをうまくやって欲しいと」思っているからねぇ。




「良くなることを信じて、その時を待つ」って、難しいんだよなぁ。


こんなことを考えていると、いつも思い出すフレーズがある。

さだまさしの「夢と呼んではいけない」の冒頭。
それを夢と呼んではいけない 希望ではなく期待でもない 信じて そして待つことを 私は約束と呼びたい


そう、「約束」なんだよなぁ。


いろんな意味をもつ「約束」だよね。







一人では受診させないで欲しい……



病院によっては、認知症かどうか微妙な患者さんの診断を確定するために、短期間の検査入院をすることもあります。
その手の病院にいた頃の話……

認知症の検査入院する患者さんが、当日病院に来ないわけです。
担当の研修医を呼んで、「どうなっているんだ」と聞くわけです。当然。

研修医 「今日の午前中に来てくださいって、電話で伝えてました」
私    「まさか、○○さん本人に言ったんじゃないんだろな?
研修医 「電話にでたのが、○○さんだったんです。でも、『わかりました』って、しっかり言ってましたよ
私    「入院の目的を、もう一度言ってもらおうか……




SAKURAKO - Pick up the phone. / MJ/TR (´・ω・)



少し前から認知症治療の啓発(?)CMが、流れるようになったせいか、「物忘れが目立つんだけど」とか、「認知症の検査をしてほしい」といった受診が増えているような気がします。

でも、当の”物忘れが目立ってきた”本人さんだけが受診される場合が、時々あるんですよね。このパターン、けっこう困るんですよね……

長谷川式やMMSEとか、頭部CTなどの検査も、認知症の診断をするには重要です。

ただ、生活に密着した情報。これに勝るものは、無いんですよね。

最近数ヶ月での生活の変化とか、何気ない行動の変化があるかどうか、などなど

これだけは、本人が言うことだけで、判断できませんから。

だから、治療啓発のCMをするのなら、「家族も一緒に受診して下さい」の一言くらい、付け加えて欲しい
そうじゃないと、何のための啓発やら……







ちなみに、認知症がきちんと診れる医者と、そうでない医者の違いがでてくるのは、この部分です。

できる医者は、家族からの情報の取り方が抜群に上手いんです。

患者さんの生活リズムとか、家事のこなし方とか、最近の言動などを聞く時に、それがわかります。

質問をする時の言葉の選択ポイントの見つけ方ポイントじゃないかと思った時の話の広げ方等々、情報の引き出し方に違いが出てきます。

情報の聴取のしかた、これは奥が深いものですね、やっぱり。


こういったアプローチは、本来なら精神科医に一日の長があると信じているんですけどね。
なかなか、思うようなレベルには、届きません。
難しいものです。

2012年5月23日水曜日

問診票は患者さんを表すのか?


いわゆる初診の患者さんには、診察の前に問診票というものを書いてもらう。

自分のいる病院なんて、電子カルテ化なんてのは、まだまだ先の話。というわけで、当然患者さん自身に問診票に記入してもらう。


この問診票の用紙は、バカにできない

この用紙は、患者さんについての情報の山なのだから。


問診票の用紙に目を通すのは、診察をする前になる。当然、この段階では、患者さんの顔も見ていない。
でも、色々なことが見えてきそうな気がする



Recette1 - Le questionnaire / LaTransfo



例えば、
そこまで書かなくてもと思うくらい、几帳面に、全部の項目が埋められていたり。(場合によっては、「わかりません」と正直に書かれていることも) まぁ、こういうのは、少数派かな。

その一方で、主訴の部分に「眠れないのできました」と乱暴な文字で書いてあるだけで、他のところには、何も書いてなかったり。場合によっては、「なるべく、薬は飲みたくありません」とまで、書かれてある……

丁寧に書かれている字もあれば、乱暴に書きなぐられた字もあったり。

小学生のレベルでしか漢字が使われてなくて、どんな人かなぁと不安を抱えて、患者さんを呼んでみる。すると、見た感じは、実にしっかりしてそうな人で、問診票との大きなギャップに、すごく違和感を感じたり。



繰り返すけれど、問診票を見ているだけで、患者さんのことについて、色々なことが見えてきそうな気がするんだよね。
こういうことを考えてから、診察を始めると面白い

何よりも、診察に対する考え方の視野が広がりやすくなるはず
ちょっとした事だけど、問診票に対して、こんなことも意識してみても、いいんじゃないかしらん。




間違えたらいけないのは、問診票を見て考えたことは、あくまでも参考意見というラベルを付けて、頭の中に置いておくこと
自分の先入観に、診察の流れを従わせていくのは、ダメなんだよ。念のため。



それにしても、カルテとか、診療の電子化が進むと、こういった問診票も無くなっていくんだろうな。
残念だ。

患者さんから得られる生のデーターが少なくなっていくなんて、かなりもったいないことだけど。


2012年5月21日月曜日

「金環蝕」と「月をなめるな」と……

2012年5月12日は、金環蝕という大天文ショー。ツイッターでも、盛り上がっていました。
そのなかで、面白かったのが下のつぶやき。

このつぶやきを見て、思い出したのが「月をなめるな」という話。話の内容については、下記リンクを読んでください。

山本弘のSF秘密基地BLOG:「月をなめるな」


「月をなめるな」が、本当にあった話なのか、ネタ話なのか。
今までは、ネタ話だと思っていたんですけどね。




CIMG0172 / 22key


でも、あのつぶやきを見ると、本当にあってもおかしくないのかと、心が揺らいだりして……


科学系にかぎらず、「どこまでが常識か?」というのは、難しいなぁと思ったり。



「これは、常識だろう」ということでも、同じ医療職同士でも話が通じないというのは、精神科の仕事やっていても、色々ありますからねぇ。
相手からも、同じように思われているんだろうとは、思います。
……、はい、申し訳ありません。多分、過去に色々とやらかしてます。気づいているところや、気付いていないところで……

じゃあ、どうしたら、この手のすれ違いが無くなっていくのか……
自分の立場から言えることを、公に向かって伝えていくしか無いのかなぁ

難しくて、どれだけ効果があるかわからないけれど、それが一番手っ取り早いような気がします。

Twitterとか、ブログとか、SNSなんてのは、そのための道具でしょうしね。





2012年5月17日木曜日

「完全なる報復 (2009)」


全体の3分の2までは、文句なしに面白かった
本当に、面白かった。

でも、点数としては60点というところ。






前半3分の1くらいまでは、”SAW”+”羊たちの沈黙”の良い部分を使って、新たなキャラクターの誕生を思わせるような展開

パクリ感も、あまり気にならない上手い感じに仕上げていた。

ストーリー上、残酷なシーンも出さざるをえない。
それをぎりぎりのところで、ストップをかけるところも、演出の腕を評価できた。

いやぁ、本当に面白かったんだよ。


それだけに、残り3分の1の展開が…… 残念でならない。




虚構新聞についての論争って、「プロレスは、ガチなのか、八百長なのか」論争と似ているよね。




メディアを面白くなくさせる奴等 | おごちゃんの雑文

リンク先は、虚構新聞騒動に関する記事。



虚構新聞の面白さって、プロレスと同じで、「虚実皮膜」の面白さじゃないかと。

そんな面白さを楽しんでいるところに、「リアルなのか、嘘なのか、はっきりさせろ」という考え方を持ち込むのは、粋じゃないなぁと思ってしまう。

間違っているんじゃなくて、無粋

だから、この手の論争を進めていくのは、嫌だなぁというのが正直なところ。
実際、プロレスは、「”リアルな”総合格闘技」の波に飲み込まれて、輝きを失ってしまったし……


みんな、そんなに白黒つけて、楽しいのかしらん。





2012年5月14日月曜日

もっとキャラに厚みを : 「猿の惑星 創世記」DVD  視聴


「猿の惑星 創世記」。DVDで、視聴。




VFXの出来が凄くいいねぇ。ストーリー後半の展開は圧巻。 あまり考えすぎずに、素直に楽しむべき映画。

でも、正直言えば、もう少し期待はしていたんだけどね。
期待は上回ってくれなかった……

もう少し、キャラに厚みが欲しかった。何か、物足りなかった。



チャールトン・ヘストン主演の「猿の惑星」。それのエピソード0的な作品という立ち位置を意識ということは、よく分かった。
詳しくは知らないけれど、十分に元の作品の引用ができているみたいだし。

ただ、このストーリー展開ならば、「フランケンシュタイン」をオマージュして欲しかった。

人間側の主人公ロッドマンは、アルツハイマー病型認知症の父親を治すことが、自身の研究目標の一つでもある。
これは、自然の摂理に背こうとする行為だよね。


Rise_of_the_Planet_of_the_Apes-10 / aresryo



新薬を開発する過程で生み出されたのが、猿側の主人公シーザー。
シーザーは、成長するに従って、人間と変わらない理性を持ち、人間との戦いの中で自身の存在を確立していく。

要するに、シーザーは、研究者のエゴから生まれた怪物なんだよね。



Rise-of-the-Planet-of-the-Apes-Theatrical-Still-6 / aresryo


これって、「フランケンシュタイン」のストーリーの骨格と、よく似ている。そう、思いません?

「フランケンシュタイン」の文脈に沿って、ストーリーを展開していけば、人間側、猿側、それぞれの主人公に葛藤が生まれるはずなんだけど。

そしたら、キャラクターに厚みが生まれたような気がするんだけどなぁ。