2011年7月26日火曜日

「病棟がこわい」患者さん

長期入院中の慢性期統合失調症の患者さん。
最近の診察では、「病棟がこわい。どうしたら、いいんでしょう」と訴えるようになってきた。

最初は、妄想気分とか、妙な妄想が出てきたのではないかと思ったが、そうではない感じ。
精神症状が悪くなってきた時の切迫感のようなものも、あまり感じない。

そういったことを言い始めてから、何回かの診察の話をまとめていくと、なんとなく話が見えてきた。

どうも、その患者さんは、自分の生活自体に不安を感じているようだ。
”このまま、この病院にいるのが、いいのだろうか。病院の外で生活をしないといけないんじゃないか。でも、今の自分は何にもできない。どうしたら、いいんだろうか”
そう、考えているみたい。

ある時病棟にいると、その患者さんとスタッフが廊下で話をしているのが、偶然聞こえてきた。
「私、病院を出たほうがいいの?」
そんなこと、考えなくてもいい。この病院にいたら、それでいいの
「本当?」
変なことを考えずに、ここにいたらいいんだから

……、あぁ、そりゃこわいだろうな。
スタッフの口調から察すると、患者さんの話を妄想として解釈しているようだ。
だから、余計に通り一遍の口調で対応してしまっている。


閉鎖病棟の中での刺激の少ない漫然とした生活に、不安を覚えている患者さん。
でも、何もできない自分もわかっている。
しかも、自分が何をすればいいのか、よくわからない。
それなのに、「変なことを考えるな」と言われてしまう。

なんて、辛い状況なんだろう。




田舎の民間精神病院に、長期間入院してしまっている慢性期の統合失調症の患者さん。

幻覚や妄想がほとんど無くても、陰性症状や入院治療自体によって、社会生活を送る能力は低下してしまっている。
どんなふうに、生活訓練をさせてあげればいいのか。

家族?
主治医は、この患者さんの家族の顔を一度も見たことがありません

長期入院している患者さんは、ずっと病棟にいるのが当たり前というのが、過半数のスタッフの認識
まずは、この考え方から抜け出すことが必要。
でも、固定観念から抜け出すのは、なかなか難しい。なぜか、妄想の強い患者さんの対応のことを思い出してしまう。


最後に、それらの問題を解決するための、上手な方法が思いつかないでいる主治医……


ほんと、患者さんにとっては辛い状況だよね。
申し訳ない。

2011年7月21日木曜日

自分で診ていないものは、分からないんだよね

自分自身が軽躁状態と言うわけではないけれど、己の診断能力に対して多少高めの自己評価をしてたりして……
ということで、他の精神科医の診断について疑ってかかることも、しばしばありますw

でも、患者さんを実際に診ている精神科医と、診ていない精神科医との間には、患者さんの理解について確実に超えられない壁があるということだけは、肝に銘じてます。

精神科医ですら、そんな状況。
一般の人は当たり前で、普通の(?)医療関係者でも、精神疾患の知識や理解を身につけるのは難しい。
当然のごとく、身近にいる家族からの情報でも、信頼度が低いこともしばしば。

  • お嫁さんから「ボケてきました。こんなことしたり、あんなことしたり」と言われてた、うつ病のおばあちゃん。
  • 逆に、「テレビで言っていたうつ病と一緒です。薬ください」と連れてこられたアルツハイマー病の人。
  • 近くの病院から「当院に入院後、精神病を発症しました。入院させてください。家族にも、きちんと説明しています」と紹介状をもって、準備万端で受診された、せん妄の人。しかも、受診してきたときには、せん妄状態は改善していた……
  • 総合病院勤務時代、一般病床の看護婦さんから、突然の電話。「あの人は、まったく言うことを聞かなくて困るんです。精神科の(診るべき)患者さんだから、お願いします」診てみると、内科的疾患で突然の入院になって、混乱しているだけだったりして。

こういった例は、日常茶飯事。

患者さん自身を診て、始めて状況の全体像がつかめてくることが多い。
当たり前といえば、当たり前すぎる話。



で、最近報道された、元大臣の入院の件。

リアルな知り合いとか、場合によっては職場の人から、「あの入院や診断は、どうなんでしょうかね?」と意見を求められる。
聞いてくる人の顔をみると、その人の求める答えがありありと書いている場合もあったりして。

申し訳ないけれど、
「どうなんだろうね。よく分からないね。診察した精神科医が言っているとおりじゃないの。難しい問題だよね」くらいの答えしか返せない。
がっかりされることもあるけど、それでいいんじゃないかと思っている。

マスコミやネットの情報を拠り所に、誰かの精神状態について語るのは、なんだかなぁと思うようになってきた。場合によっては、いろいろな意味で危険なんだろうな、とも。

田舎の精神病院の一勤務医が語ったところで、何がどうこうと言うことはないんだけれど。
まぁ、そんなものだ。

2011年7月11日月曜日

「安定剤」というブランド

言葉からくるイメージは、バカにできない。これからは、言葉の与えるイメージを意識しないとダメなんだろうと思う。

いわゆるクリニックで「安定剤」を何種類も処方されて、長期間引っ張られたあげくに、「入院の検討も含め、今後の治療をお願いします」で締めくくられた紹介状を持たされて受診された患者さんを診る時の心境には、なんとも言えない複雑なものがある。

この多剤大量のベンゾジアゼピン系の処方について、どんな風に説明すれば、穏便に事が運ぶんだろう……、とか

クリニックを経営するからには、「客商売」を意識しないといけないところがある。それはそれで大変だし、それが処方にも影響を与えていることは、理解はできるだけれど……


患者さんの対応をしていて、精神科医から処方される薬に対する根強い抵抗感を感じることも、しばしば。

抗精神病薬なんて、当然論外。

「抑うつがありますから、軽い抗うつ薬を処方しますね」
「えっ、精神科の薬ですよね。強いんでしょう。それは、ちょっと……」
というやりとりは、珍しくない。


それに対して、「安定剤」というブランド力は、なかなかのモノである。

初診時の問診票に、受診の目的の欄に”軽い安定剤でもあれば、出して欲しい”と書いてくる人もあるくらい。
”精神科医にどんな薬を出されてしまうのだろうか?”と、不安におののく患者さんや家族に対して、「安定剤を出しておきますね」と言った時、あからさまに安心した表情に変わるのをみると、なんとも言えない気持ちになる。

「内科の先生もよく処方する安定剤」
「精神科でもよく使われる抗不安薬」
という二つの説明でのコンプライアンスや治療成績の比較、誰かやってくれないかしらん。


これだけ一般化した向精神薬に対するネガティブなイメージを無かったことにするのは、もう不可能。

マイナスからのスタートにはなるけれど、向精神薬や他の治療にポジティブなイメージを付加していくことが、建設的な考え方になるんだろうな。

2011年7月5日火曜日

主演が木村拓哉で良かったと思う : 映画 「SPACE BATTLESHIP ヤマト」

遅ればせながら、「SPACE BATTLESHIP ヤマト」 をDVDで鑑賞。

良くも悪くも、「キムタク」の映画ですね。やっぱり。

この映画は、これでよかったと思う。
作品には、何かオリジナルな部分が求められる。
「ヤマト」映画の一作品として考えた時、この映画のオリジナルは「キムタク」だもの。


VFXや脚本は、危うかった。
妙に「ヤマト」の雰囲気を出そうとしながらも、ハリウッド映画のVFXやアニメの要素を取り入れようとして、中途半端感が漂ってしまったVFX。
「ヤマト」の話を編集、再構成しているけれど、ポイントの解釈がずれているようにしか思えなかった脚本。

それに負けず劣らじと、「ヤマト」に引っ張られた演技プランになってしまったのが、俳優陣。
特に柳葉敏郎は、アニメの真田さんを意識しすぎ
森雪のキャラを、アニメから変更したのは、正解だった。
「キムタク」映画を存在させるためには、ヒロインはツンデレキャラで無くてはいけない。
配役とキャラの変更によって、与えられた課題をこなしていた。
ただ、黒木メイサが"デレ"を上手く表現できないのが残念だったが。

映画作品としても、「ヤマト」映画としても、目指す方向を失いかけた作品。
これを最後に支えたのが、”「キムタク」の映画”というスタンスで、作品としてのまとまりを作ることができた。
よかった、よかった。

脚本、VFXを変えずに、木村拓哉が出なかった場合を考える。

その時には、主役を織田裕二にすることくらいしか、思いつかない。
”「織田裕二」の映画”という確固たるスタンスができる。
これならば、迷いがない。
多分、柳葉敏郎もオファーを断るだろうし。

木村拓哉も、織田裕二も、俳優として立派な魅力があると思っている。
映画を作るのなら、「キムタク映画」「織田裕二映画」として割り切った上で、全力で作品を作って欲しい
面白い作品ができると思うよ。

2011年7月4日月曜日

あれは、究極の心遣いだよね

最初に言っておけば、自分はレディー・ガガのことは、ほとんど知らない。

じっくりと曲を聞いたこともないし、人となりもそんなに知っているわけではありません。
かといって、「それって、誰? あの変な人?」とまでは思わない。
そんなレベルです。

レディー・ガガが、来日していた間のトピックスの一つが、徹子の部屋に出演したこと。
その時のコスチュームが話題になってました。(この記事参照


これって、黒柳徹子へのリスペクトですね。

本人がしたのか、スタッフがしたのか分からないけど、黒柳徹子さんのことを調べた様子もうかがえる。キャンディーをあげているのも、その結果。
対談相手の価値観、行動パターンに合わせた対応をしてる。
しかも、自分自身のポジションを判断したうえで、どうするべきか、ものすごく突き詰めて考えているようにみえる。

何というか、究極の心遣いと言っても、いいんじゃないかしらん。これは。

本人の才能やシステム、周囲の環境が、この「心遣い」を支えているはず。


ところで、レディー・ガガとまではいかなくても、こういった”心遣いを突き詰めようとする人”は、臨床場面でも、時々みかけます。

相手や周囲の人の存在のことを考えていくのはいいけれど、それが過度になりすぎて、上手い行動としてまとめることができない。
結果的にとった行動が、理解されないものに終わってしまう。場合によっては、妙なレッテルを貼られてしまうことも……


自分は、こういう行動パターンを取る人のことは、とても気になる。

本人の身近な人に、行動を評価することではなく、そう行動せざるを得なかった姿勢を理解してもらいたい。
評価は、その後にしてもらえたら。

そのあたりを何とかするのも、精神科医として、一つの仕事なんじゃないかなと……