2011年6月28日火曜日

テレビサスペンスドラマであれば、一級品。 「テイキング・ライブス」

映画「テイキング・ライブス」、DVDで鑑賞。

最近のテレビドラマ。特に2時間サスペンスドラマに、物足りないものを感じている人には、お勧めの作品。

キャストも豪華。
アンジェリーナ・ジョリー。イーサン・ホーク。キーファー・サザーランド。
と、多くの人が馴染みのあるキャスティング。申し分ありません。

「他人の人生を生きる」殺人犯。プロファイリングを駆使して、犯人を捕まえようとする優秀な女性FBI特別捜査官というストーリー。「羊たちの沈黙」を彷彿とさせます。

オープニングは秀逸。
殺人犯のなんとも言えない、不気味な雰囲気が伝わってくる、見事なプロローグです。


このレベルで、話が展開してくれれば、どんなに面白かったことか……


設定とか、セリフの端々に見受けられる伏線ぽいものとか、面白くなりそうな材料は、一杯ありました。
ただ、それらが全て中途半端……
美味しそうな食材に、あまり手を加えず作られてしまった料理とでもいえばいいのか。もう少し、作りこみができるんじゃないかと。

ストーリーは、いい意味でも、悪い意味でもわかりやすい。
こちらが裏読みしていると、かなり裏切られますw

時間も103分と、お手軽な長さ。
適当にCMを挟んでいけば、そのまま2時間サスペンスドラマ枠で放送できるはず。

ただ、通常のドラマ枠で放送するにしては、レベルが高すぎますw

映画として、きちんと作っているところもあるし。

映像は、しっかりしています。きちんと映画の撮りかたになっています。
印象的なアングルから展開されるシーンも、いくつかあります。いいですよ。
当たり前ですが、最近のテレビドラマが映画化した時の、テレビドラマのアングルがそのまま映画として出てくるようなことはありません。

犯人の潜伏場所に突入とか、カーアクションなどの見せ場も、ちゃんとあります。

最近のテレビドラマでは、規制されてしまうようなシーンも、逃げずにきちんと映像にしてます。

被害者の遺体とか、遺体の写った現場写真とか、リアルに作って、きちんと見せてくれます。(地上波で放送したこともあったみたいだけど、このあたりどうしたんだろう?)
アンジェリーナ・ジョリーの魅力たっぷりのシーンもあります。

この手間を、もう少しストーリー構成とか、脚本とかにかけて欲しかったと思うくらい、きちんとやっています。


規制だらけでつまらなくなった、テレビドラマに嫌気がさしている人には、絶対お勧めできます。

大人のための、上質で、刺激的な2時間サスペンスドラマです。

2011年6月24日金曜日

「まえがき」だけでも、読む価値あり 「荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論」

「荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論」読了。

面白かった。

荒木飛呂彦の「見識」が面白い。
これだけの「見識」を持った人間が描いた「ジョジョの奇妙な冒険」が、面白くないわけがない。

「ジョジョ」は、生まれるべくして生まれた作品だったとしか、言いようがない。

逆に、この本を読んで「ジョジョ」を読み直すと、新たな発見ができるに違いない。まだ、読み返してないけど、間違いない。

この本は、「ジョジョの奇妙な冒険」シリーズを読むための副読本である。



 それならば、「荒木飛呂彦」も、「ジョジョの不思議な冒険」も知らない人は、読んでも面白くないのか?

大丈夫。

文章自体は、優しく語りかけるような口調で読みやすい。この口調にも、荒木氏の人柄が現れている。それぞれの映画の面白さが、分かりやすく紹介されている。ポイントも絞られていて、簡潔だ。



それでも、読むには抵抗があるという人がいるかもしれない。
そんな人も、本屋で見かけたら「まえがき」だけでも読んで欲しい。
特に”かわいい子にはホラー映画をみせよ”と小見出しのついたところは、秀逸だ。
ホラー映画規制論に対する、きちんとした優しい主張をしている。
この部分だけでも、読む価値がある。


つまるところ、誰もが読んでも損はない本なんです。

おすすめ。

2011年6月20日月曜日

「お付き合いする」なら、アリピプラゾール


ある慢性期の統合失調症の患者さんに、アリピプラゾールを試していた。
「著しい思考障害」をターゲットにしていたつもり。
診察をしていても、ひと固まりの意味をもつ会話をすることも難しい状態が、何年も続いている。

アリピプラゾールを主体とした処方内容に変更して、数ヶ月経過。
以前と変わらず、一つ一つの話がつながらなくて、会話として意味のある形にならない。
 
製薬会社の宣伝は、やはり宣伝としてとらえるべきだと再認識。
 
ただ、ボーとした感じは減っていたり、ろれつのまわりが良くなったりしているし、なんとなく以前よりは会話のつながりがあるような気がする。

定型抗精神病薬を長年使用されてきた人だから、もっと長い目でみてあげようと思っている。


発症初期の統合失調症の患者さんの治療。目標を「病状と上手くお付き合いする」ことに設定したとする。その時に、「薬物療法で、何を使いたいですか?」と聞かれれば、アリピプラゾールは第一選択薬の候補の一つに挙げる。

「治す」ことではなくて、「お付き合いする」ことが肝。

アリピプラゾールの鎮静の弱さは、認知機能の低下を引き起こしにくい。
疾患に対する受け入れや理解があれば、アリピプラゾールという薬は、患者さんの大きな味方になるんじゃないかと思う。


(twitterでつぶやいたときには、「コントロール」という言葉を使ってました。@twit_shirokuma氏のリプのなかで「お付き合いする」という言葉を使われていました。こちらの方が、語感もよいし、適切だとおもったので使わせてもらいました。ありがとうございます。)

2011年6月11日土曜日

「十三人の刺客」のDVDは見るべきだ

「十三人の刺客」のDVDは見ておくべきだ。
といっても、今回自分が見たのは、最近発売された、三池崇史のリメイク版ではない。
昭和38年に公開されたオリジナルの「十三人の刺客」だ。

リメイクされた「十三人の刺客」は劇場で見た。
面白かった。傑作だ。
よかったら、この「十三の刺客」も見て欲しい。

リメイク版を見る前であっても、見てからであっても、オリジナル版は見ておくべきだ。

オリジナルでは山城新伍、リメイク版では伊勢谷祐介が演じる木賀小弥太という登場人物がいる。この人物に対してのエキセントリックな演出がリメイク版の大きなポイント。
その意図を解釈するには、二つの「十三人の刺客」を比較するといい。
映画全体で付け加えられたものを考えていけば、小弥太の演出の意図を含めて、リメイク版の目指したものを理解しやすい。

オリジナル版には、リメイク版と比較するとシンプルだが、作品それ自体はしっかりとした骨組みを持った、無駄のない作品。だからこそ、新しい作品を生み出す、しっかりとした土台になった。


リメイク版の「十三人の刺客」のDVDも、最近発売&レンタルが開始された。

もう一度言おう。「十三人の刺客」のDVDは見ておくべきだ。

2011年6月6日月曜日

濃密なラブシーン:映画「日の名残り」

時には、映画の簡単な感想なども……
それと、タイトルはやや誇張してますねw

「日の名残り」という映画。
理想的な執事スチーブンス(アンソニー・ホプキンス)と有能な女中頭ミス・ケントン(エマ・トンプソン)との関係が中心となる物語。



一番印象的だったのは、アンソニー・ホプキンスとエマ・トンプソンのラブシーン。

心惹かれるスチーブンスのささやかな秘密を、悪戯心から暴こうとするミス・ケントン。
最初は、戯れのつもりの行動。そのうちに二人の距離が近づき、必然的に心の距離が近づき、心の内が露わになっていこうとする……

二人の間の気持ちの揺れ動きが、こちらにも緊迫した空気と共に伝わってくる。
ほんの2、3分のシーンですが、伝わってくる心の動きの情報量が多すぎて、それ以上の体感時間を覚えます。

実力派の二人だからこそ作り出せる、映画の良さを教えてくれる、素晴らしいシーン。

たまには、こういう映画をみないといけないなと思いますね。

2011年6月3日金曜日

脳内OSとプログラム

以前に、高齢の精神科医が、外来で患者さんに、こう言い放っているのが聞こえてきたことがあった。

「自分がアルコール依存症になっているかどうか気になるの? あなたは大丈夫。
なぜなら、アルコール依存症の人は、話ができない。
あなたは、話が通じる。
だから、大丈夫」

またスゴイこと言っているなぁと、当時は半ば聞き流していた。
でも、最近学ぶべき点があるように思えてきている。


きちんと診察として成立しているけれど、最後の締めに要点を確認すると、相手は何も分かっていなかったという状況は、時々経験する。
なんだか話が通じているようで、通じていない。妙な違和感がでてくる。思い返せば、どこかが噛み合っていない。



人間の脳みそをコンピューターに例えることがある。
自分の場合、脳というコンピューターの中にも、OSとプログラムの存在があると、イメージしている。


脳内PCの中のプログラムによって、思考や行動という活動が生まれる。ただ、そのプログラムはOSというバックグラウンドがあることで成り立っている。

大体の人のOSは似たようなもの。とはいっても、微妙にOSのクセがある。そのクセを分類して、それぞれの特徴を論じることができそう。
時には、まったく異質なOSもある。そのため、そのOS上のプログラムの仕様も、どこか異質。だから、似たような動きをするけれど、何か異質なものがある。
そんな感じ。

疾患ごとにイメージしていくのならば、
内因性精神疾患の人は、OSは問題ないけれど、プログラムにバグがある。だから、その人自身も予想できない言動を生みだされる。

自閉症圏内の人の場合は、異なるOSで似たような機能のプログラムが動いている。プログラムの挙動も大体理解できるけれど、注意していないと思ってもみない結果が出てくることがある。

アルコール依存症の人は、アルコールによって、少しずつ行動を司るPCのOSが書き換わっているような感じ。プログラムじゃなくて、OSがやられているから修復も困難。むしろ、別のOSだと割りきって考えたほうが、やりやすそう。


話が通じているようで通じていない時には、OSという思考のバックグラウンド自体がズレていることを意識したほうがいいかもしれない。

こういったイメージを持つと、相手へのアプローチについて、いろいろとアイディアが出てくることもある。自分の場合。

後ろからの視線を意識した行動

ちょっと前に、久しく会っていなかった友人の家族から頼まれて、友人を診察した
不眠や精神的に不安定な状態を家族が心配して、心療内科の受診を勧めても、本人が拒否。
自分のとこならば、と言い出したのが、決定打となった。


幸い、職場でのストレスによる軽い抑うつ状態だったので、軽めの処方で十分対応できる状態で,
一安心。
友人は、自分のところへの通院を希望していたけれど、説得して、近くのクリニックに紹介した。


軽い病状であったとしても、プライベートのつながりのある人を診察するのは、やっぱり無理だと思った。


いつもの医療者としての姿勢を保つことすら、普段の倍以上の努力を要した。
そんな姿勢が不安定な状態は、そのうちに診断や治療のポイントを見誤ることにつながる。




少し距離のある友人でもこれだ。
「患者さんを、自分の家族だと思って治療する」という姿勢は、自分にはあらゆる意味で無理だと、再認識。




「自分の家族だと思って……」という言葉が意味するものは理解できる。


それを自分なりに言い換えれば、「自分の子どもが、後ろから一挙手一投足を見ていると思って、治療をする」というだろうな。


自分の子どもに対して、胸をはって説明できる行為を選択する。


それが間違いだとしても、それは自分の責任だから仕方が無い。
「自分が間違っていた。お前は、その轍を踏むな」と、子どもに伝える。
そこまで責任が取れる行動を選択するということだ。

2011年6月2日木曜日

ブログ投稿テストです

ブログの投稿テストです。

対話で、自分をバージョンアップする

Twitterでは、<対話>をしたいと思っている。

<対話>では、あるテーマに対しての意見を互いに披露しあう。
できるだけ相手の意見を取り入れて、自分の考えを修正したり、新しい気づきを得たりする。
自分の思考のバージョンアップだ。

<対話>をする時のポイントは、自分の考えも、物怖じせずに、ある意味「無責任に」主張すること。
だから、相手の意見を否定しないことが大切。

Twitterは、<対話>をする場としては、うってつけの場所じゃないかしらん。