2011年12月20日火曜日

安易なフレーズに逃げない


とある患者さんの心理検査結果のコメントを読んでいた。

『軽度発達障害の傾向がある』というフレーズが、何となく引っかかってしまう……

これって、「発達障害」という言葉を使わずに、コメントすることはできなかったのかしらん。
全般的な状態を把握するための手段として、心理検査を依頼したのだけで、発達障害の診断目的というオーダーは出していなかったんだけどねぇ。



うん、後数年したら、「軽度発達障害の傾向をベースとした、現代型うつ病」みたいな診断や評価が、世間を闊歩しそうな気がするんだけど。
杞憂かしらん

自分には、とても安易なフレーズのようにしか見えないんだけど。



KOKUYO のツインリングノート / yto



新しい概念や言葉が出てきて、よく使われだした時、その存在を無視してはいけない。
でも、安易に頼ってしまうのも問題だろうね。
単なる思考停止状態に陥って、十分なアプローチができなくなる危険性がでてくる。
それは、本当に危険なことだから。

2011年11月17日木曜日

「アップルシード」が好きだった自分には、大満足: 映画「バンテージ・ポイント」


映画「バンテージ・ポイント」

うん、素直に面白かった。満足したよ。



パッと見たら70点、よく吟味してみたら85点のネタを、120%のクォリティで作り上げた映画だね。

アメリカ大統領狙撃前後の一定の時間を、複数の登場人物の異なる視点によって描く作品構成が、この作品のミソ。
これを活かしつつ、作品のテンポを上げるために、登場人物の背景描写が最低限になっている
気になる人は、それが説明不足に見えるかもしれない。

だが、それがいい。


登場人物の背景を推察するために必要な最低限の情報は、映画の中で提示されている。
それを自分の頭の中で補っていくのが、楽しい。

だから、2度、3度見なおしても、十分に楽しめる。


それから、登場人物の多くが、一流のプロフェッショナルとして行動しているのもいい
プロ同士のせめぎ合いは、スリリングで気持ちいい。


この楽しみ方って、士郎正宗の「アップルシード」シリーズを読んだ人ならわかるんじゃないかな。


うん、とても満足した。




ところで、狙撃される大統領をウィリアム・ハートが演じていたのに、しばらく気がつかなかった。
当たり前だけど、大分老けたもんだなぁ。

自分の中では、ウィリアム・ハートって、「ブロードキャスト・ニュース」とか、「愛は静けさの中に」とかのイメージから、どうも成長していなかったようだ。

2011年11月16日水曜日

患者さんの診察をしていたら、スタッフに打ち切られてしまった




病棟で、慢性期の統合失調症の患者さんの診察をしていた。
この手の診察は、どちらかと言えば、退屈な仕事ではある。
なにしろ、患者さんの状態は、数年単位で大きく変わっていないし、いろいろな意味で変化を望まれている状況ではない。

話を聞いている自分も、「あぁ、この話を聞くのも何回目だろうか……」と思いながら聞くことのほうが多い。
それでも、時々「あぁ、この前のイベントを、この患者さんは、こんな風に解釈しているんだ」と気がつく時があるので、油断はならない。
気まぐれに、今日の昼ごはんの話題を振ってみたら、そのことから患者さんの思わぬ家族への思いを聞き出せたこともあった。

今回の診察も、何かのきっかけで、患者さんの気持ちのどこかを刺激したみたいだ。
いつもに比べると少しだけ積極に、自分から色々と話をしてくれていた。
確かに、妄想まじりで、わけがわからないところも多い話だった。
でも、とても面白かった。
ベースにある思考の流れや趣味趣向が垣間見えてくるような気がした。
もしかしたら、そんな気がしているだけかもしれないんだけれど。

あまりにも面白かったので、とにかく患者さんの好きなように話してもらおうと思って、黙ってニコニコしながら聞いていた。


「ハイハイ、言いたいことは言ったでしょう。診察は終わりにしましょうね」
唐突に、背後から声が聞こえてきて、患者さんは退席を促されてしまった。
……診察終了。

診察についていた病棟スタッフが、患者さんを診察室から退席させる。そして、「先生、すみませんでした」と、一言。

そのスタッフは、気を効かせたつもりなんだろうね。
この病院での勤務を始めて、そんなに時間が経っていない先生。
いつもと同じような話をしているだけなんだけど、先生はわかっていないだろうし。対処に困っているみたいので、助け舟を出してあげた。
そんなところかな? 
多分ね。


fountain pen.JPG / Bright Meadow


次に診察した時には、きっと、あの面白い話はしてくれないんだろうなぁ。
それを思うと、残念でならない。


ここまで書くと、対応したスタッフが悪いように解釈されるかもしれない。
でも、それは違うと思う。

あの患者さんの話に、面白さを感じられないスタッフの感覚は、そんなに変なものではないと思う。
むしろ、今の病院のスタッフとしては、普通の感覚じゃないかな?

じゃあ、あの時、自分の感じていた面白さは、本当に面白いものだったのだろうか?
改めて考えると、なんだか自信がなくなってきた。
でも、精神科治療の臨床場面で、自分は確かに面白いと感じていた。それは、間違い無い。

だから、その面白さを、外に向かって伝えていかないと。

うん、精神科治療は面白いんだ。

2011年10月26日水曜日

励ましたらいけないのは、なぜ?


「だって、元気のない人を励ましたって、上手くいかないでしょ。」



自分のTwitterのつぶやき。
「うつ病の患者を励ましてはいけない」というフレーズは、世間一般に浸透した。じゃぁ、「何故、励ましたらいけないのか?」と問われて答えられる人は、どれくらいいるのだろう。ちょっと、気になる。

冒頭の一言、それがつぶやきに対する答え。



もう少し、説明を付け加えていく。


まず、大切なことを一つ。
これは、あくまでも内因性単極性うつ病(以下、今回の記事中は「うつ病」と表記)の話
だからね。



「精神運動抑制」が、どれくらいあるか。
「うつ病」では、この評価が一番大切。というか、これが「うつ病」の本質
病状が強いということは、「精神運動抑制」が強い状態。

「精神運動抑制」が強いとは、頭の中の元気が無くなっていることを意味する。

「元気があれば、何でもできる!」 これは正しい。
「元気が無いと、何もできない」 逆も、また真である。


ところが、往々にして「うつ病」の人は、「私が、○○しなければ」みたいな使命感のようなものは衰えない。その使命感を背負って、行動しようとする。
ほんとうに必要なのは、「行動しないこと」という休養なのに。

周囲の「励まし」は、使命感を正当化する。そして、より強く行動をさせようとする。
「何もできない」時は、どんなに頑張っても上手くいくはずがないのに。



「うつ病」の人が治るために必要なことは、何はさておき「休むこと」である。
その方向に働きかけていくのが、治療的な行為のはずだ。

「今は何もしないことが、必要なことです。同じ頑張るなら、頑張って休みなさい。あなたの周りの人も、そのほうが安心します」
時々、これくらいのことを言ってしまうんだけど。
これって、ダメですかね。



リラックス / june29

2011年10月4日火曜日

過去は変わらない :映画「バタフライ・エフェクト」 (ネタバレあり?)


結果的に、映画「バタフライ・エフェクト」のネタバレになっているかも。注意してください。












良くないことがあると、過去に原因を求めるがちになる。


例えば、
若くして精神疾患が発症した患者さんの親が、「私たちの育て方が悪かったんでしょうか」と泣きそうな顔をして聞いてくるのは、何回も経験した。
「10年前にあいつが、毒をまいたから、自分がこんな目にあってしまった」と訴え続ける長期入院している統合失調症の人。
などなど。



過去を変えることは、できない。
そもそも、過去は責任をとってくれない。

勘違いをしてはいけない。
過去を遡ることの意義は、傾向を知ることにある。

対策は、未来の自分のために立てるものだ。取り返しの付かない過去を変えるためではない。



過去にこだわりすぎると、自分自身を傷つけ、壊していくことになってしまう。
明日のために、何をするべきか。そう考えないといけない。

すぐには答えは出ないかもしれない。
でも、考えないといけない。行動しないといけない。
そうしないと、現状も、未来も変わらないのだから。




ということを、映画「バタフライ・エフェクト」を見て再認識。

この映画、レンタルDVDには、公開時と別のバージョンのラストが収録されている。

でも、本来のエンディングは、セルDVDに収録されている。
これが秀逸。
バッドエンドではあるが、ストーリー展開としては、自然で納得できる。
興味があれば、是非ともググって欲しい。
それだけの価値はある。


2011年9月15日木曜日

identityの作り方




「おはよう」と声をかけられたら、「おはよう」と返事をする。

「こんにちは。今日は、いい天気ですね」と声をかけられたら。「こんにちは。そうですね。しばらく、この天気が続きそうですよ」と答える。



困った事があったら、「困ったなぁ」と、少しだけアピールしてみる。
それで助けてもらったら、とても嬉しい。
今度、困った人を見かけたら助けてみてもいいかも、と思う。

まぁ、助けてもらえなかったとしても、それは仕方ない。
むしろ、当たり前の話。それが、世間だ。
「困っているんだから、なんとかしろ」なんて言ってみても、何かが変わるわけでもないし。



大きな声の人の考えは、よく届く。
ついつい、その考えがあたりまえだという空気になりがち。
10人の人がいれば、10通りの。100人の人がいれば、100通りの考え方があるのが、むしろ当たり前。
ただ、表にでてこない考えは、存在しないことになってしまう。

必要なことは自分の考えを発信すること。
それが、一番大事。


「自分の考えを表に出す」 それが、identityの形成につながる。
世界は、そんな風に変わってきている。
すごい時代になってきたものだ。


人混み / sekido


思いついた勢いで、自分なりのTwitterのスタンスについて書いてみた。
今更のような気もするけれど、まぁ、いいじゃないww

2011年9月5日月曜日

宇宙大作戦「彼は精神病なのか?」

遭難した宇宙船の救助のために、とある惑星に着陸したエンタープライズ号。

宇宙船を発見し、たった一人の生存者を発見する。

その生存者は、一見会話も成立する。
しかし、感情が不安定であったり、時に幻覚の存在をうかがわせるような奇妙な行動をとったりする。

その生存者は、何らかの精神疾患を発症したのか、
未知の宇宙人による何らかの操作を受けたのか、
それとも一時的なショック状態なのか……

カーク、スポック、マッコイが、それぞれの立場から、生存者の精神状態について論じていく。





【報告】ワークショップ「精神疾患研究の科学論――生物学的アプローチの検討」


ツイッターで見かけた、上の記事をサラっと読んで、思いついた小ネタ。


2011年8月23日火曜日

支える力 : 映画「パーマネント野ばら」 (ネタバレ有り)



はじめに:
原作や映画の「パーマネント野ばら」の内容を知っていることを前提に書いています。
ネタバレが嫌な人は、読まないように注意してください。























答えがでないことを、いろいろと考えていた。


「パーマネント野ばら」の主人公の「なおこ」は、”くるっている”

映画でも、原作でも、主人公が精神科での治療を受けている描写はない。

もし、自分が「なおこ」の主治医であれば、どう対応しているだろうか。

過去の恋愛体験を基にした妄想の世界があり、病識もあいまいだ。
あえて診断をつけるとすれば、統合失調症の妄想型とするだろう。


じゃあ、治療はどうするのか?

判断が難しい。
それなりに、日常生活もできている。大きな問題はないように見える。
ただ、温泉旅行のエピソードのような行動化が出てくるのは、少し心配だ。
症状の悪化を防ぐためにも、抗精神病薬を飲んで欲しいと思う。

薬物療法は、最小限に抑えたい。生活の質をあまり落としたくはない。
妄想を消失させることを目標にするべきではない。
薬を使ったことで、妄想が消えてしまうことは、ほとんど期待できないわけだし。
「なおこ」にとって、妄想の世界は、いい意味でも悪い意味でも避難所である。プラスの面とマイナスの面とのバランスを上手く取らなければ。


大切にするべきなのは、「なおこ」と周囲の人間との関係だ。
「なおこ」の母親、友人、近所の人は、彼女を受け入れて、見守っている。
この環境は、治療的に大きな意味がある。
自分のような医者の力は、この環境がもたらすものには、なかなか及ばない。


物語のラストで、「なおこ」は友人に問いかける。
『わたし くるってる?』
友人は、その言葉を受けて、明確で、力強い言葉を返す。
その言葉は、まぎれもなく「なおこ」を支える力を持っている。

もしも診察の場面で同じように問われたとしたら、自分のような情けない医者には、これほど強い言葉を返すことができない。

映画「パーマネント野ばら」を見た後、原作を振り返りながら、答えがでないことを考えていた。


2011年8月10日水曜日

まずは、笑顔を見せよう


診察の最後は、自分の笑顔で締めないとね

統合失調症にしろ、他の精神疾患にしろ、症状が重くなってくれば、診察室で取り上げられる話題も湿りがちになる。

眉をひそめながら、本人や家族の口から出てくるのは、不安の現れであったり、行きどころを失った怒りであったり、negativeなものしか出てこないことも……
お互いに、どうしようもない重い荷物を背負ったような、そんな雰囲気が漂ってしまう。
そんな診察の後には、暗い顔をして診察室を後にしていく姿を見送ることに。
そんな光景をみると、こちらの気持ちも沈んでしまう。


そりゃ、たちどころに症状が改善・消失してくれる魔法の薬があれば、みんながハッピーな気持ちになれるんだろうけれどね……


だから、そういう重たいものを、一度はこちらが引き受けないとね。
ただ、それだけでは足りない。

重たいものがなくなった分、何か明るいもの、軽いものを診察の場に生み出せればいいのかしらん。
最近、そう思うことが多くなった。

その場しのぎになることも多いんだろうけれど、まぁ、それでもいいじゃない。
そういったものが、何もないよりは、大分マシな話だ。



治療方針を決めるのには、まずは治療目標を決めるように、一回一回の診察のゴールを想定したほうがいいのかしらん。
ゴールを目標にした診察の流れを作ることを意識する。
というか、意識するだけで、診察の流れは違ってくるはず。

「診察の最後には、少なくとも自分が笑顔でいられる」
とりあえずは、このあたりをゴールに定めてみようかしらん。


2011年8月1日月曜日

残してしまった仕事は気になる

慢性期の統合失調症の患者さんの治療。
10年前後、もしくは、それ以上入院しているような患者さんの場合、往々にして、定型抗精神病薬の多量/多剤併用の処方となっている。

今の病院にやってきてからは、一部の患者さんに対しては、処方の見直し、最適化(?)に向けて、処方の調節をしていた。
調節といっても、処方量の減量が主体。そして、あくまでもスローペース。

2年近くの時間をかけても、調節半ばという患者さんも、何人か……

さてと、私が去った後、この患者さんの治療というのは、どのように進んでいくのかしらん

気になる。気になる。

2011年7月26日火曜日

「病棟がこわい」患者さん

長期入院中の慢性期統合失調症の患者さん。
最近の診察では、「病棟がこわい。どうしたら、いいんでしょう」と訴えるようになってきた。

最初は、妄想気分とか、妙な妄想が出てきたのではないかと思ったが、そうではない感じ。
精神症状が悪くなってきた時の切迫感のようなものも、あまり感じない。

そういったことを言い始めてから、何回かの診察の話をまとめていくと、なんとなく話が見えてきた。

どうも、その患者さんは、自分の生活自体に不安を感じているようだ。
”このまま、この病院にいるのが、いいのだろうか。病院の外で生活をしないといけないんじゃないか。でも、今の自分は何にもできない。どうしたら、いいんだろうか”
そう、考えているみたい。

ある時病棟にいると、その患者さんとスタッフが廊下で話をしているのが、偶然聞こえてきた。
「私、病院を出たほうがいいの?」
そんなこと、考えなくてもいい。この病院にいたら、それでいいの
「本当?」
変なことを考えずに、ここにいたらいいんだから

……、あぁ、そりゃこわいだろうな。
スタッフの口調から察すると、患者さんの話を妄想として解釈しているようだ。
だから、余計に通り一遍の口調で対応してしまっている。


閉鎖病棟の中での刺激の少ない漫然とした生活に、不安を覚えている患者さん。
でも、何もできない自分もわかっている。
しかも、自分が何をすればいいのか、よくわからない。
それなのに、「変なことを考えるな」と言われてしまう。

なんて、辛い状況なんだろう。




田舎の民間精神病院に、長期間入院してしまっている慢性期の統合失調症の患者さん。

幻覚や妄想がほとんど無くても、陰性症状や入院治療自体によって、社会生活を送る能力は低下してしまっている。
どんなふうに、生活訓練をさせてあげればいいのか。

家族?
主治医は、この患者さんの家族の顔を一度も見たことがありません

長期入院している患者さんは、ずっと病棟にいるのが当たり前というのが、過半数のスタッフの認識
まずは、この考え方から抜け出すことが必要。
でも、固定観念から抜け出すのは、なかなか難しい。なぜか、妄想の強い患者さんの対応のことを思い出してしまう。


最後に、それらの問題を解決するための、上手な方法が思いつかないでいる主治医……


ほんと、患者さんにとっては辛い状況だよね。
申し訳ない。

2011年7月21日木曜日

自分で診ていないものは、分からないんだよね

自分自身が軽躁状態と言うわけではないけれど、己の診断能力に対して多少高めの自己評価をしてたりして……
ということで、他の精神科医の診断について疑ってかかることも、しばしばありますw

でも、患者さんを実際に診ている精神科医と、診ていない精神科医との間には、患者さんの理解について確実に超えられない壁があるということだけは、肝に銘じてます。

精神科医ですら、そんな状況。
一般の人は当たり前で、普通の(?)医療関係者でも、精神疾患の知識や理解を身につけるのは難しい。
当然のごとく、身近にいる家族からの情報でも、信頼度が低いこともしばしば。

  • お嫁さんから「ボケてきました。こんなことしたり、あんなことしたり」と言われてた、うつ病のおばあちゃん。
  • 逆に、「テレビで言っていたうつ病と一緒です。薬ください」と連れてこられたアルツハイマー病の人。
  • 近くの病院から「当院に入院後、精神病を発症しました。入院させてください。家族にも、きちんと説明しています」と紹介状をもって、準備万端で受診された、せん妄の人。しかも、受診してきたときには、せん妄状態は改善していた……
  • 総合病院勤務時代、一般病床の看護婦さんから、突然の電話。「あの人は、まったく言うことを聞かなくて困るんです。精神科の(診るべき)患者さんだから、お願いします」診てみると、内科的疾患で突然の入院になって、混乱しているだけだったりして。

こういった例は、日常茶飯事。

患者さん自身を診て、始めて状況の全体像がつかめてくることが多い。
当たり前といえば、当たり前すぎる話。



で、最近報道された、元大臣の入院の件。

リアルな知り合いとか、場合によっては職場の人から、「あの入院や診断は、どうなんでしょうかね?」と意見を求められる。
聞いてくる人の顔をみると、その人の求める答えがありありと書いている場合もあったりして。

申し訳ないけれど、
「どうなんだろうね。よく分からないね。診察した精神科医が言っているとおりじゃないの。難しい問題だよね」くらいの答えしか返せない。
がっかりされることもあるけど、それでいいんじゃないかと思っている。

マスコミやネットの情報を拠り所に、誰かの精神状態について語るのは、なんだかなぁと思うようになってきた。場合によっては、いろいろな意味で危険なんだろうな、とも。

田舎の精神病院の一勤務医が語ったところで、何がどうこうと言うことはないんだけれど。
まぁ、そんなものだ。

2011年7月11日月曜日

「安定剤」というブランド

言葉からくるイメージは、バカにできない。これからは、言葉の与えるイメージを意識しないとダメなんだろうと思う。

いわゆるクリニックで「安定剤」を何種類も処方されて、長期間引っ張られたあげくに、「入院の検討も含め、今後の治療をお願いします」で締めくくられた紹介状を持たされて受診された患者さんを診る時の心境には、なんとも言えない複雑なものがある。

この多剤大量のベンゾジアゼピン系の処方について、どんな風に説明すれば、穏便に事が運ぶんだろう……、とか

クリニックを経営するからには、「客商売」を意識しないといけないところがある。それはそれで大変だし、それが処方にも影響を与えていることは、理解はできるだけれど……


患者さんの対応をしていて、精神科医から処方される薬に対する根強い抵抗感を感じることも、しばしば。

抗精神病薬なんて、当然論外。

「抑うつがありますから、軽い抗うつ薬を処方しますね」
「えっ、精神科の薬ですよね。強いんでしょう。それは、ちょっと……」
というやりとりは、珍しくない。


それに対して、「安定剤」というブランド力は、なかなかのモノである。

初診時の問診票に、受診の目的の欄に”軽い安定剤でもあれば、出して欲しい”と書いてくる人もあるくらい。
”精神科医にどんな薬を出されてしまうのだろうか?”と、不安におののく患者さんや家族に対して、「安定剤を出しておきますね」と言った時、あからさまに安心した表情に変わるのをみると、なんとも言えない気持ちになる。

「内科の先生もよく処方する安定剤」
「精神科でもよく使われる抗不安薬」
という二つの説明でのコンプライアンスや治療成績の比較、誰かやってくれないかしらん。


これだけ一般化した向精神薬に対するネガティブなイメージを無かったことにするのは、もう不可能。

マイナスからのスタートにはなるけれど、向精神薬や他の治療にポジティブなイメージを付加していくことが、建設的な考え方になるんだろうな。

2011年7月5日火曜日

主演が木村拓哉で良かったと思う : 映画 「SPACE BATTLESHIP ヤマト」

遅ればせながら、「SPACE BATTLESHIP ヤマト」 をDVDで鑑賞。

良くも悪くも、「キムタク」の映画ですね。やっぱり。

この映画は、これでよかったと思う。
作品には、何かオリジナルな部分が求められる。
「ヤマト」映画の一作品として考えた時、この映画のオリジナルは「キムタク」だもの。


VFXや脚本は、危うかった。
妙に「ヤマト」の雰囲気を出そうとしながらも、ハリウッド映画のVFXやアニメの要素を取り入れようとして、中途半端感が漂ってしまったVFX。
「ヤマト」の話を編集、再構成しているけれど、ポイントの解釈がずれているようにしか思えなかった脚本。

それに負けず劣らじと、「ヤマト」に引っ張られた演技プランになってしまったのが、俳優陣。
特に柳葉敏郎は、アニメの真田さんを意識しすぎ
森雪のキャラを、アニメから変更したのは、正解だった。
「キムタク」映画を存在させるためには、ヒロインはツンデレキャラで無くてはいけない。
配役とキャラの変更によって、与えられた課題をこなしていた。
ただ、黒木メイサが"デレ"を上手く表現できないのが残念だったが。

映画作品としても、「ヤマト」映画としても、目指す方向を失いかけた作品。
これを最後に支えたのが、”「キムタク」の映画”というスタンスで、作品としてのまとまりを作ることができた。
よかった、よかった。

脚本、VFXを変えずに、木村拓哉が出なかった場合を考える。

その時には、主役を織田裕二にすることくらいしか、思いつかない。
”「織田裕二」の映画”という確固たるスタンスができる。
これならば、迷いがない。
多分、柳葉敏郎もオファーを断るだろうし。

木村拓哉も、織田裕二も、俳優として立派な魅力があると思っている。
映画を作るのなら、「キムタク映画」「織田裕二映画」として割り切った上で、全力で作品を作って欲しい
面白い作品ができると思うよ。

2011年7月4日月曜日

あれは、究極の心遣いだよね

最初に言っておけば、自分はレディー・ガガのことは、ほとんど知らない。

じっくりと曲を聞いたこともないし、人となりもそんなに知っているわけではありません。
かといって、「それって、誰? あの変な人?」とまでは思わない。
そんなレベルです。

レディー・ガガが、来日していた間のトピックスの一つが、徹子の部屋に出演したこと。
その時のコスチュームが話題になってました。(この記事参照


これって、黒柳徹子へのリスペクトですね。

本人がしたのか、スタッフがしたのか分からないけど、黒柳徹子さんのことを調べた様子もうかがえる。キャンディーをあげているのも、その結果。
対談相手の価値観、行動パターンに合わせた対応をしてる。
しかも、自分自身のポジションを判断したうえで、どうするべきか、ものすごく突き詰めて考えているようにみえる。

何というか、究極の心遣いと言っても、いいんじゃないかしらん。これは。

本人の才能やシステム、周囲の環境が、この「心遣い」を支えているはず。


ところで、レディー・ガガとまではいかなくても、こういった”心遣いを突き詰めようとする人”は、臨床場面でも、時々みかけます。

相手や周囲の人の存在のことを考えていくのはいいけれど、それが過度になりすぎて、上手い行動としてまとめることができない。
結果的にとった行動が、理解されないものに終わってしまう。場合によっては、妙なレッテルを貼られてしまうことも……


自分は、こういう行動パターンを取る人のことは、とても気になる。

本人の身近な人に、行動を評価することではなく、そう行動せざるを得なかった姿勢を理解してもらいたい。
評価は、その後にしてもらえたら。

そのあたりを何とかするのも、精神科医として、一つの仕事なんじゃないかなと……

2011年6月28日火曜日

テレビサスペンスドラマであれば、一級品。 「テイキング・ライブス」

映画「テイキング・ライブス」、DVDで鑑賞。

最近のテレビドラマ。特に2時間サスペンスドラマに、物足りないものを感じている人には、お勧めの作品。

キャストも豪華。
アンジェリーナ・ジョリー。イーサン・ホーク。キーファー・サザーランド。
と、多くの人が馴染みのあるキャスティング。申し分ありません。

「他人の人生を生きる」殺人犯。プロファイリングを駆使して、犯人を捕まえようとする優秀な女性FBI特別捜査官というストーリー。「羊たちの沈黙」を彷彿とさせます。

オープニングは秀逸。
殺人犯のなんとも言えない、不気味な雰囲気が伝わってくる、見事なプロローグです。


このレベルで、話が展開してくれれば、どんなに面白かったことか……


設定とか、セリフの端々に見受けられる伏線ぽいものとか、面白くなりそうな材料は、一杯ありました。
ただ、それらが全て中途半端……
美味しそうな食材に、あまり手を加えず作られてしまった料理とでもいえばいいのか。もう少し、作りこみができるんじゃないかと。

ストーリーは、いい意味でも、悪い意味でもわかりやすい。
こちらが裏読みしていると、かなり裏切られますw

時間も103分と、お手軽な長さ。
適当にCMを挟んでいけば、そのまま2時間サスペンスドラマ枠で放送できるはず。

ただ、通常のドラマ枠で放送するにしては、レベルが高すぎますw

映画として、きちんと作っているところもあるし。

映像は、しっかりしています。きちんと映画の撮りかたになっています。
印象的なアングルから展開されるシーンも、いくつかあります。いいですよ。
当たり前ですが、最近のテレビドラマが映画化した時の、テレビドラマのアングルがそのまま映画として出てくるようなことはありません。

犯人の潜伏場所に突入とか、カーアクションなどの見せ場も、ちゃんとあります。

最近のテレビドラマでは、規制されてしまうようなシーンも、逃げずにきちんと映像にしてます。

被害者の遺体とか、遺体の写った現場写真とか、リアルに作って、きちんと見せてくれます。(地上波で放送したこともあったみたいだけど、このあたりどうしたんだろう?)
アンジェリーナ・ジョリーの魅力たっぷりのシーンもあります。

この手間を、もう少しストーリー構成とか、脚本とかにかけて欲しかったと思うくらい、きちんとやっています。


規制だらけでつまらなくなった、テレビドラマに嫌気がさしている人には、絶対お勧めできます。

大人のための、上質で、刺激的な2時間サスペンスドラマです。

2011年6月24日金曜日

「まえがき」だけでも、読む価値あり 「荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論」

「荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論」読了。

面白かった。

荒木飛呂彦の「見識」が面白い。
これだけの「見識」を持った人間が描いた「ジョジョの奇妙な冒険」が、面白くないわけがない。

「ジョジョ」は、生まれるべくして生まれた作品だったとしか、言いようがない。

逆に、この本を読んで「ジョジョ」を読み直すと、新たな発見ができるに違いない。まだ、読み返してないけど、間違いない。

この本は、「ジョジョの奇妙な冒険」シリーズを読むための副読本である。



 それならば、「荒木飛呂彦」も、「ジョジョの不思議な冒険」も知らない人は、読んでも面白くないのか?

大丈夫。

文章自体は、優しく語りかけるような口調で読みやすい。この口調にも、荒木氏の人柄が現れている。それぞれの映画の面白さが、分かりやすく紹介されている。ポイントも絞られていて、簡潔だ。



それでも、読むには抵抗があるという人がいるかもしれない。
そんな人も、本屋で見かけたら「まえがき」だけでも読んで欲しい。
特に”かわいい子にはホラー映画をみせよ”と小見出しのついたところは、秀逸だ。
ホラー映画規制論に対する、きちんとした優しい主張をしている。
この部分だけでも、読む価値がある。


つまるところ、誰もが読んでも損はない本なんです。

おすすめ。

2011年6月20日月曜日

「お付き合いする」なら、アリピプラゾール


ある慢性期の統合失調症の患者さんに、アリピプラゾールを試していた。
「著しい思考障害」をターゲットにしていたつもり。
診察をしていても、ひと固まりの意味をもつ会話をすることも難しい状態が、何年も続いている。

アリピプラゾールを主体とした処方内容に変更して、数ヶ月経過。
以前と変わらず、一つ一つの話がつながらなくて、会話として意味のある形にならない。
 
製薬会社の宣伝は、やはり宣伝としてとらえるべきだと再認識。
 
ただ、ボーとした感じは減っていたり、ろれつのまわりが良くなったりしているし、なんとなく以前よりは会話のつながりがあるような気がする。

定型抗精神病薬を長年使用されてきた人だから、もっと長い目でみてあげようと思っている。


発症初期の統合失調症の患者さんの治療。目標を「病状と上手くお付き合いする」ことに設定したとする。その時に、「薬物療法で、何を使いたいですか?」と聞かれれば、アリピプラゾールは第一選択薬の候補の一つに挙げる。

「治す」ことではなくて、「お付き合いする」ことが肝。

アリピプラゾールの鎮静の弱さは、認知機能の低下を引き起こしにくい。
疾患に対する受け入れや理解があれば、アリピプラゾールという薬は、患者さんの大きな味方になるんじゃないかと思う。


(twitterでつぶやいたときには、「コントロール」という言葉を使ってました。@twit_shirokuma氏のリプのなかで「お付き合いする」という言葉を使われていました。こちらの方が、語感もよいし、適切だとおもったので使わせてもらいました。ありがとうございます。)

2011年6月11日土曜日

「十三人の刺客」のDVDは見るべきだ

「十三人の刺客」のDVDは見ておくべきだ。
といっても、今回自分が見たのは、最近発売された、三池崇史のリメイク版ではない。
昭和38年に公開されたオリジナルの「十三人の刺客」だ。

リメイクされた「十三人の刺客」は劇場で見た。
面白かった。傑作だ。
よかったら、この「十三の刺客」も見て欲しい。

リメイク版を見る前であっても、見てからであっても、オリジナル版は見ておくべきだ。

オリジナルでは山城新伍、リメイク版では伊勢谷祐介が演じる木賀小弥太という登場人物がいる。この人物に対してのエキセントリックな演出がリメイク版の大きなポイント。
その意図を解釈するには、二つの「十三人の刺客」を比較するといい。
映画全体で付け加えられたものを考えていけば、小弥太の演出の意図を含めて、リメイク版の目指したものを理解しやすい。

オリジナル版には、リメイク版と比較するとシンプルだが、作品それ自体はしっかりとした骨組みを持った、無駄のない作品。だからこそ、新しい作品を生み出す、しっかりとした土台になった。


リメイク版の「十三人の刺客」のDVDも、最近発売&レンタルが開始された。

もう一度言おう。「十三人の刺客」のDVDは見ておくべきだ。

2011年6月6日月曜日

濃密なラブシーン:映画「日の名残り」

時には、映画の簡単な感想なども……
それと、タイトルはやや誇張してますねw

「日の名残り」という映画。
理想的な執事スチーブンス(アンソニー・ホプキンス)と有能な女中頭ミス・ケントン(エマ・トンプソン)との関係が中心となる物語。



一番印象的だったのは、アンソニー・ホプキンスとエマ・トンプソンのラブシーン。

心惹かれるスチーブンスのささやかな秘密を、悪戯心から暴こうとするミス・ケントン。
最初は、戯れのつもりの行動。そのうちに二人の距離が近づき、必然的に心の距離が近づき、心の内が露わになっていこうとする……

二人の間の気持ちの揺れ動きが、こちらにも緊迫した空気と共に伝わってくる。
ほんの2、3分のシーンですが、伝わってくる心の動きの情報量が多すぎて、それ以上の体感時間を覚えます。

実力派の二人だからこそ作り出せる、映画の良さを教えてくれる、素晴らしいシーン。

たまには、こういう映画をみないといけないなと思いますね。

2011年6月3日金曜日

脳内OSとプログラム

以前に、高齢の精神科医が、外来で患者さんに、こう言い放っているのが聞こえてきたことがあった。

「自分がアルコール依存症になっているかどうか気になるの? あなたは大丈夫。
なぜなら、アルコール依存症の人は、話ができない。
あなたは、話が通じる。
だから、大丈夫」

またスゴイこと言っているなぁと、当時は半ば聞き流していた。
でも、最近学ぶべき点があるように思えてきている。


きちんと診察として成立しているけれど、最後の締めに要点を確認すると、相手は何も分かっていなかったという状況は、時々経験する。
なんだか話が通じているようで、通じていない。妙な違和感がでてくる。思い返せば、どこかが噛み合っていない。



人間の脳みそをコンピューターに例えることがある。
自分の場合、脳というコンピューターの中にも、OSとプログラムの存在があると、イメージしている。


脳内PCの中のプログラムによって、思考や行動という活動が生まれる。ただ、そのプログラムはOSというバックグラウンドがあることで成り立っている。

大体の人のOSは似たようなもの。とはいっても、微妙にOSのクセがある。そのクセを分類して、それぞれの特徴を論じることができそう。
時には、まったく異質なOSもある。そのため、そのOS上のプログラムの仕様も、どこか異質。だから、似たような動きをするけれど、何か異質なものがある。
そんな感じ。

疾患ごとにイメージしていくのならば、
内因性精神疾患の人は、OSは問題ないけれど、プログラムにバグがある。だから、その人自身も予想できない言動を生みだされる。

自閉症圏内の人の場合は、異なるOSで似たような機能のプログラムが動いている。プログラムの挙動も大体理解できるけれど、注意していないと思ってもみない結果が出てくることがある。

アルコール依存症の人は、アルコールによって、少しずつ行動を司るPCのOSが書き換わっているような感じ。プログラムじゃなくて、OSがやられているから修復も困難。むしろ、別のOSだと割りきって考えたほうが、やりやすそう。


話が通じているようで通じていない時には、OSという思考のバックグラウンド自体がズレていることを意識したほうがいいかもしれない。

こういったイメージを持つと、相手へのアプローチについて、いろいろとアイディアが出てくることもある。自分の場合。

後ろからの視線を意識した行動

ちょっと前に、久しく会っていなかった友人の家族から頼まれて、友人を診察した
不眠や精神的に不安定な状態を家族が心配して、心療内科の受診を勧めても、本人が拒否。
自分のとこならば、と言い出したのが、決定打となった。


幸い、職場でのストレスによる軽い抑うつ状態だったので、軽めの処方で十分対応できる状態で,
一安心。
友人は、自分のところへの通院を希望していたけれど、説得して、近くのクリニックに紹介した。


軽い病状であったとしても、プライベートのつながりのある人を診察するのは、やっぱり無理だと思った。


いつもの医療者としての姿勢を保つことすら、普段の倍以上の努力を要した。
そんな姿勢が不安定な状態は、そのうちに診断や治療のポイントを見誤ることにつながる。




少し距離のある友人でもこれだ。
「患者さんを、自分の家族だと思って治療する」という姿勢は、自分にはあらゆる意味で無理だと、再認識。




「自分の家族だと思って……」という言葉が意味するものは理解できる。


それを自分なりに言い換えれば、「自分の子どもが、後ろから一挙手一投足を見ていると思って、治療をする」というだろうな。


自分の子どもに対して、胸をはって説明できる行為を選択する。


それが間違いだとしても、それは自分の責任だから仕方が無い。
「自分が間違っていた。お前は、その轍を踏むな」と、子どもに伝える。
そこまで責任が取れる行動を選択するということだ。

2011年6月2日木曜日

ブログ投稿テストです

ブログの投稿テストです。

対話で、自分をバージョンアップする

Twitterでは、<対話>をしたいと思っている。

<対話>では、あるテーマに対しての意見を互いに披露しあう。
できるだけ相手の意見を取り入れて、自分の考えを修正したり、新しい気づきを得たりする。
自分の思考のバージョンアップだ。

<対話>をする時のポイントは、自分の考えも、物怖じせずに、ある意味「無責任に」主張すること。
だから、相手の意見を否定しないことが大切。

Twitterは、<対話>をする場としては、うってつけの場所じゃないかしらん。